Page Top


一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト「海&船」目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ


    北前船の回漕業で豪商になった酒田・本間家の旧本邸





      秋田県酒田の中心街を通る本町通りには、その昔「三十六人衆」と呼ばれた豪商が軒を連ねていた。彼らは船主のために積荷を集めたり、 運んだりして運送取次の機能を担った廻船問屋であった。 江戸時代には、酒田は北前船の拠点として「西の堺・東の酒田」と言われるほど繁栄を謳歌した。その中でも本間家は、かつて日本一 の大地主と謳われた。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と俗謡に謡われるほどの豪商であった。

      本間家の初代は原光(もとみつ)であったが、三代目の光丘(みつおか)は千石船による商いを始めた人物であった。 彼は酒田にあっては早い時期に自前の船をもち北前交易を始めたという。そして、庄内藩を支える大豪商にまで上り詰めたと、 物の書物に記されている。 画像の屋敷は、その本町通りに面する「本間家旧本邸」である。光丘が、1768年(明和5年)に幕府の巡見使一行の宿(本陣)として建築し、 荘内藩主の酒井家に献上したものである。武士の宿として使用された書院造りの屋敷と、本間家が生活を営んだ商家造りの屋敷 とが一つに合体した珍しい建築様式となっている。

    [参考]酒田を代表する廻船問屋「旧鐙屋」について
      江戸時代、本町通りには何軒もの廻船問屋が連なっていたが、本間家旧本邸と同じく本町通りに面する旧鐙屋は、本間家とともに、 酒田「三十六人衆」の一人として酒田の発展につくした豪商・池田惣左衛門(屋号: 鐙屋“あぶみや”)が営む廻船問屋であった。 問屋の中でも鐙屋は別格であったという。井原西鶴の「日本永代蔵」に、「北の国一番の米の買入、惣左衛門という名をしらざるはなし」 と登場するほどである。

    [撮影年月日:2022.05.31/所在地: 山形県酒田市二番町12-13/電話: 0234-22-3562] [拡大画像: x29155.jpg]


このページのトップに戻る /Back to the Pagetop


一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト「海&船」目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ