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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    三菱重工横浜造船所(第1~3号ドック)を鳥瞰する古写真 [横浜・三菱みなとみらい技術館]


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    1. 大正期の横浜船渠: 1922年(大正11年)の横浜造船所の航空写真である。画像最右端中央にあるのが「第1号ドック」(入渠船 はなさそうに写る)、その左側に2棟の長い建屋をはさんで「第2号ドック」(小型船が停泊する)、さらに長い建屋などをはさんで左斜め上に 「第3号ドック」(小型船が停泊する)がある。そのすぐ左側にある大きな泊地に大小型の船数隻が停泊する。[拡大画像: x29224.jpg] [z24468.jpg]

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    2. 1907年(明治39年)頃の横浜船渠会社(横浜造船所の前身)の全景:中央に第2号ドック、最左端に第1号ドックがある。 現在でも両ドックが遺されている。 [拡大画像: x29226.jpg]

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    3. 1956年(昭和31年)の横浜造船所の航空写真である。第1号ドックには大型貨物船が、第2号ドックには小型船が、第3号ドック には大型船が、そのすぐ左の埠頭をはさんだ泊地には大型船が相並んで停泊する。

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    4. 2014年(平成26年)の航空写真であり。右側から第1号、2号、3号ドック、泊地が並んでいる。第3号ドックの真下にある 丸印=「三菱みなとみらい技術館」の所在地。 [拡大画像: x29225.jpg]


    横浜みなとみらい(MM)21地区にはかつて三菱重工横浜造船所があった。前身を辿れば、1891年(明治24年)に「有限責任横浜船渠会社」 として創設された(第1号船渠の竣工は1899年、第2号のそれは1897年であった)。その後、1935年(昭和10年)に三菱重工と合併し、三菱重工の横浜造船所となった。その後横浜市の「みなと みらい21計画」に協力し、1983年(昭和58年)本牧・金沢地区へ移転し、「横浜製作所」と改称された。

    かくして、MM21地区は三菱重工横浜造船所跡地とその前面水域の埋め立てたものである。第1号ドック周辺は日本丸メモリアルパークとして 整備され、ドックには旧運輸省航海訓練所の練習帆船「日本丸」が昔のまま浮かぶ。第2号ドックは「ドックヤードガーデン」となっている。

    [参考] 1858年(安政5年)江戸幕府は日米修好通商条約を締結した。同条約に基づき、神奈川とともに、下田、箱館、長崎、新潟、兵庫の 開港を決定した。神奈川については外国公館の反対を押し切って開港場を横浜と決定し、翌1859年(安政6年)3月にその建設に着手した。

    5 第1号ドックに入渠中の英国軍艦「レインボー」(1903年・明治36年)

    [画像1~5撮影年月日:2022.04.17/場所: 横浜みなとみらい(MM)21地区の「三菱みなとみらい技術館」]


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