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画像1は歌川広重(初代)の描いた「名所江戸百景 品川すさき」(品川歴史館蔵)である。江戸湾・品川浦の沖には帆掛け船が浮かび
、その向こうには安房上総を臨む。空は茜色に染まる。
画像2は旧東海道に沿った「品川宿」辺りの古地図である。地図上の「冽崎(すさき)弁天」が「州崎(すさき)弁天(=利田神社)」のことであるのか不詳だが、目黒川の流路・河口、旧東海道、品川浦などの地理的位置関係を知ることができる。
さて、旧東海道(最下の地図では、左端寄りに南北方向に黄色で描かれた道路)の道端に建てられた「土蔵相模
(どぞうさがみ)」と題する案内板には、品川宿界隈の旧東海道の道幅、道筋は江戸開府から
400年来変わることなく今日まで維持される歴史遺産として貴重であるばかりか、旧東海道を中心にした路地、横町、神社が遺され、古き良き
宿場町の雰囲気を今に伝えている、と記されている。案内板はさらに続けて次のように記す。
土蔵相模は歩行新宿(かちしんしゅく)(北品川1丁目)の食売旅籠屋(めしうりはたごや)「相模屋」
の俗称で、奥座敷が土蔵造りになっていたことから付けられた名称である。
万延元年(1860)大老・井伊直弼を襲撃した桜田門外の変の水戸浪士たちや、文久2年(1862)
英国公使館を焼打ちにした高杉晋作・伊藤俊輔(博文)ら長州藩士の集合場所になるなど、幕末の歴史の舞台となった
場所である。 旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会・品川礎会の案内板
画像3は京急「北品川」駅南寄りの踏切脇に建てられた「品川宿入り口」の標石である。
画像4は現在の「天王洲運河」の船溜まり現・風景。ここから運河沿いに右方向へ100mほど進むと運河は行き止まりとなり、
そこに利田神社(地図参照)がある。

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[撮影年月日:2025.03.22/場所: 東京品川区東品川の旧東海道・品川宿界隈]
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