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画像は東京品川区の台場小学校(地図参照)正門前の石垣上に建てられたミニ灯台である。通りがかりにたまたま目にした時には、
何故こんな内陸部に灯台があるのだろうかと、全く解せなかった。まさか実物の灯台であるまいと、想像した。脇に立つ案内板
を読んで合点が行った。
「御殿山下台場(砲台)跡」と題する、
平成18年3月に立てられた案内板には概略次のように記されている。
嘉永6年(1853年)に米国のペリーが4隻の軍艦(黑船)を率い、日本に開国を求めて浦賀に来航した。当時鎖国政策下にあった徳川幕府は、江戸
を防御するため急いで品川沖から深川洲崎(すさき)にかけて11基の台場を築造することにした。
当時伊豆韮山(にらやま)の代官であった江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)がオランダの書物を基に砲台造りの指導に当たった。
第一から第三台場、および第五・第六台場は完成させたが、残りの第四・第七台場は中途で工事を中止した。また第八以下は着工にも
至らなかった。その代わりとして、五角形で陸続きの台場を築造することになった。それが御殿山下台場(砲台)である。
明治になって台場は埋め立てられ姿を消したものの、幸いにも台場の輪郭は道として残り、現在でもその位置と形を知ることができる。
跡地に建つ台場小学校の敷地はこの台場の半分ほどの面積を占めている。
台場跡からは石垣が発見され、小学校にはその石垣を使った記念碑が建てられた。石垣の上に立つ灯台は、明治3年(1870年)に日本
で三番目の洋式灯台として第二台場に築造された品川灯台を模したものである。実物の品川灯台は、国の重要文化財として愛知県犬山市の
「博物館明治村」に移設されている。
* 御殿山下砲台の築造着工: 1854年(嘉永7年)。

[地図の拡大画像]
[撮影年月日:2025.03.22/場所: 品川区台場小学校(品川区東品川1丁目8)正門前にて][拡大画像: x29426.jpg]
* 「御殿山下台場(砲台)跡」と題する案内板の拡大画像: x29427.jpg。
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