画像1&2は、港区教育委員会が、JR東日本の協力の下、2024年12月8~9日に一般公開した「高輪築堤跡」(遺構発掘現場のトレンチ1)である。
「高輪築堤」とは、日本で初めて鉄道を通す(新橋~横浜間)ために、東京府高輪(現在の東京都港区)の浅瀬
(本芝から品川停車場にかけての、当時弓なり状にあった湾岸沿いの浅瀬)の海に、約2.7kmに渡って築かれた鉄路敷設用の構造物
(堤、コーズウェイ)である。築堤は新橋~横浜間の日本初の鉄道開業期の明治5年(1872)のことであった。
JR品川駅改良工事中であった平成31年(2019)4月に石垣の一部が発見されていたが、それ以降港区教育委員会では、高輪三丁目地内
(高輪ゲートウェイ第2期工事エリア)において高輪築堤跡の残存状況等を確認するための調査が実施されてきた。敷地内で
発掘された遺構9ヶ所のうちの1ヶ所(幅2メートル程の石垣。トレンチ1)が今回公開されたものである。
[注]トレンチ(trench): n.堀、掘割り、みぞ、塹壕のこと。
鉄道建設当時、高輪周辺には軍事を担当する兵部省の軍用地も所在していた。同省は当該用地の兵部省鉄道局への譲り渡しを
拒んだことから、大隈重信は海を埋立てて堤を築き鉄路を敷設することを決断した。
イギリス人技師エドモンド・モレルの技術指導下、本芝~品川停車場の区間(現・田町駅~品川駅間)において、弓なり状
の海岸線沿った形で浅瀬に築造されたものである。
なお、「港区港区立郷土歴史館」では、鉄道開業後150年を経た現代において発掘された歴史的な近代化遺構の様子などについて
紹介している。また、遺構調査の成果などを同館のホームページで公開している。
また、同上区間の鉄路沿線上で発掘された「第七橋梁」と称される橋台部の石組み遺構は、三代歌川広重の錦絵「東京品川海辺蒸気車
鉄道之真景」(明治5~6年頃)に描かれた築堤を想起させる構造物である(画像3・4参照)。国の指定文化遺跡としての同橋台部石組み遺構を
一般公開するための常設展示コーナーが、早晩同遺構地において開設される計画である。
[参考]
明治2(1869)年11月 新橋~横浜間の鉄道建設決定
明治3(1870)年10月 高輪築堤の工事に着手
明治5(1872)年5月 品川~横浜(現桜木町)間仮開業、9月高輪築堤完成、10月新橋~横浜間正式開業
3
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画像3は三代歌川広重「東京品川海辺蒸気車鉄道之真景」(明治5~6年頃)。画像4は「第七橋梁橋台部(2020年10月6日)」。
[画像3&4の出典: トレンチ1の遺構現場公開時に掲示された、「高輪築堤とは/高輪築堤の発見と調査」と題する案内パネルより]
[遺構見学・撮影年月日: 2024.12.9/場所: 東京都港区・高輪三丁目地内(高輪ゲートウェイ第2期工事エリア)]