室津の街中に「たつの市立室津海駅館」という郷土資料館(かつての廻船問屋・嶋屋の旧宅)がある。同館には、廻船によって
その昔海上輸送された身欠き鰊、羽鰊(はにしん)などの複製展示もある。
同館に掲示される説明書きをベースに以下取り纏めた。
欧州大陸とアフリカ大陸とにはさまれた地中海と同じように、日本の瀬戸内海も本州・九州・四国にはさまれた
比較的穏やかな内海かつ多島海であり、沿岸航海術が発展する地理的条件が備わっていた。要するに、日本の海運の発展の
起点となった地域である。
室津は東西に細長く広がる内海の東部に位置し、古くから海上交通の要地であり、中世には既に「室(むろ)の船頭」による
商品輸送が盛んであったといわれる(下図4参照; 大阪の左隣りの湊)。
江戸時代になると、大阪と江戸の二大市場を中心とする全国的規模の商品流通ネットワークが発展し続けた。
中でも室津の廻船問屋は瀬戸内海、日本海を舞台に海運ネットワークを広げるようになった。
室津は商業的海運業(廻船業)の一大拠点であったばかりでなく、江戸時代、参勤交代のため行き来する西国大名の上陸地となった。
文化年間(1804~1817年)の室津入港の大名数は70藩にもなったという。江戸に向かう、あるいは江戸から帰藩する藩主が
乗船する御座船とその参勤船団が寄港した。
また、オランダの商館長は長崎出島(1640年以前は平戸)から江戸の将軍に拝礼すべく(いわゆるオランダ人が「参府(さんぷ)旅行
(Hofreiseホブレイゼ)」と称した)室津にも寄港した。
更には、朝鮮国王の親書を携えた外交使節団の一行は海上にあっては大船団を組み、陸上では大行列をなして江戸へ
旅したが、その際には海駅・室津には必ず寄港した。
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室津湾・港の最奥部からの眺望。画像1にその最奥部が写る。
[参考略史]
・ 1590年(天正18年) 天正少年遣欧使節、巡察使ヴァリアーノとともに室津に入港する。
・ 1635年(寛永3年) 参勤交代制度の実施。室津は西国大名の通過路となり大いに賑わう。
・ 1691年(元禄4年) オランダ商館の医師ケンペルが室津に寄港、翌年も寄港する。
・ 1804から文政年間における室津入港の大名数は70藩に及ぶ。
・ 1826年(文政9年) オランダ商館の医師シーボルトが室津に泊まり、詳細に様子を記録する。
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「室」津の位置が示される(大阪の左隣)。九州・大分の「鶴崎」も示される。鶴崎には熊本藩の
御座船が係留されていた。瀬戸内海航路の拠点となっていた。出典:室津海駅館。
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地図の拡大画像はこちら(z24832.jpg)出典: 室津街中の公営観光案内板。
[撮影年月日:2024.06.05/場所: たつの市室津港]