復元された舞鶴の「平引揚桟橋(南桟橋)」
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舞鶴港は昭和20年(1945年)10月7日の引揚第一船「雲仙丸」の入港から、昭和33年までの13年間にわたり、シベリア抑留者
の引き揚げを中心にソ連邦、中国などからおよそ66万4千人を受け入れた。
当時日本国内各地に引揚港が設けられたが、昭和25年以降は舞鶴港が国内唯一の引揚港となり、昭和33年の終了までに
延べ346隻の引揚船と約66万人の引揚者を受け入れた。
画像1は、「引揚を記念する舞鶴全国友の会」によって復元された舞鶴・平引揚桟橋(南桟橋)である。
画像2は、同じく同友の会によって復元桟橋に設置された、「桟橋復元由緒」と題する説明パネル板(下記参照)である。背景に
写るのが当時の引揚桟橋(南桟橋)である。
画像3は、復元桟橋に掲示される「まぶたの桟橋舞鶴よ」の歌詞が綴られている。背景に写る引揚船は「興安丸」である。
画像4は、「舞鶴引揚記念館」に展示される引揚桟橋や引揚船のジオラマである。画像上部には引揚者の受け入れのための掩護施設
が築造されている。施設敷地の右端に海へ出っ張っているのが「南桟橋」である。その左方に細長く突き出るのが「北桟橋」
であるが、後に雪害のため使用不可能となった。入り江に停泊するのは、引揚船の「高砂丸」(手前の船)と「興安丸」(その
上の船)である。
「桟橋復元由緒」には次の通りに記される。
舞鶴港は、終戦間もなく昭和20年10月引揚港に指定されて以来13年にわたり、主に旧ソ連邦・中国大陸等から66万人余の引揚者と、
祖国の礎となって無言の帰国をされた16,000人余の御霊を迎え入れた。
幾多の苦難に耐え、夢に見た祖国へ感激の第一歩をしるした桟橋。
桟橋の脇に佇み我が子、夫を待ち続けた「岸壁の母・妻」そして、温く迎えた往時の市民の姿、この史実を21世紀へ
伝えるため、歴史の語り部として復元したものである。
とき将に、第二次世界大戦終結50周年をむかえ、舞鶴から「世界平和の架け橋」として未来永劫にこの史実を継承記念するものである。
過去は未来を写す鏡である。それ故に過去は正しく伝えられなければならぬ。
平成6年5月27日 引揚を記念する舞鶴・全国友の会
[撮影年月日:2024.06.11/撮影場所: 画像1~3=舞鶴・平引揚桟橋(南桟橋)、画像4=「舞鶴引揚記念館」]
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