画像1は、南紀・太地の燈明崎に所在する「吉備真備の漂着の石碑で
ある。「吉備真備漂着之碑」と題する案内板(令和2年太地町教育委員会設置)によれば、次のような史実が綴られている。
吉備真備(695~775年)は奈良時代を代表する学者である。真備は、玄宗皇帝が治める黄金期の唐
から儒教・天文・算術・兵法・建築などに関する多くの文物を日本に持ち帰った。帰国後右大臣まで昇進し、朝廷で
活躍した。81歳で他界。
第12次遣唐使の副使として二度目の唐滞在を終えた真備は、天平勝宝5年(753)11月、蘇州市張家港の黄泗
浦を出帆した。
・ ところが、大使の藤原清河(きよかわ)・阿部仲麻呂を乗せた第一船は、安南(ベトナム)に漂着し、彼らの帰国は結局のところ
叶わなかった。
・ 他方、後に日本での律宗(りっしゅう)の祖となる鑑真(がんじん)を乗せた第二船と、真備を乗せた第三船は相次いで屋久島に到着した。
なお、第二船はそこから薩摩国秋妻屋浦(あきめやうら)(南さつま市坊津町)に、第三船は「紀伊国牟漏埼(むろざき)」に流れ着いた
という(「続日本紀」)。
(注)律宗: 奈良時代鑑真が紹介した、日本の仏教の13宗の一つであり、戒律の研究・実践を専門にする。
なお、「漂着之碑」は、紀伊国牟漏埼を太地の燈明崎とする説に基づいて、1971年に建立されたものである。
[撮影年月日:2024.09.06/場所: 南紀・太地の燈明崎]