対馬本島はその昔南北に地続きの大きな一つの島であった。だが、今や「万関越の地峡(万関地峡)」が開削され水道が建設され、そこに
「万関橋(まんぜきばし)」が架けられている。
(注)実は、万関地峡開削以前に、「大船越瀬戸」というもう一つの水道が江戸時代(1672年)に大船越において開削され、本島は大きく
2島(正確には、本島は3つの島)に分割されてきた。
現在万関橋のある地は「三浦湾」(対馬海峡、または同海峡東水道に面する)の西端に位置し、古くは万関越の地峡によって「浅茅湾(あそうわん)」(朝鮮海峡、または対馬海峡西水道に面する)に通じていて、東西の2つの海峡(または対馬海峡東水道と同西
水道を結ぶ)重要な地点であった。
1900年(明治33年)、当時の帝国海軍が軍事上の理由から万関地峡を艦船が通航可能となるよう開削し鉄橋を架けた。
日本帝国海軍艦隊と帝政ロシア・バルチック艦隊との対馬沖海戦の数年前のことである。
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万関橋から、浅茅湾・朝鮮海峡に通じる水道(西側)を見る。
2 万関橋
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三浦湾・対馬海峡に通じる水道(東側)を見る。
画像-1.[拡大画像: x29413.jpg]、画像-3.[拡大画像: x29414.jpg]
[撮影年月日:2025.02.09/場所: 長崎県対馬本島の対馬空港北東域に架かる「万関橋」にて]
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