江戸時代に開削された、対馬本島を二分する「大船越瀬戸」
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画像1は瀬戸の西方風景。画像2は「大船越橋」の先に広がる瀬戸風景。浅茅湾(あそうわん)・朝鮮海峡へと通じる。
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1977年(昭和52年)10月17日付けの、美津島町教育委員会によって建てられた史跡案内板には以下の通り記される。
史跡 大船越瀬戸堀切由来の碑
朝鮮海峡から浅茅湾(あそう湾)を経て対馬海峡に通ずる瀬戸として、寛文12年(1671年)宗義真公(21代藩主)がここに
堀切り通行の便を開いた。
もともと対馬は全島が地続きで、ここは西の浅茅湾南奥部の入り江が権現山の丘を隔てて、東の対馬海峡と接する
地峡部であったから、昔から船を引いてこの丘を越え、また荷を積み替えて往き来した。船越の地名はここに由来する
といわれる。寛文の堀切後、いく度か拡張、改良工事などが施され、東西の海を結ぶ交通の要衝となっている。
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画像3は瀬戸(最狭部)の東方風景。大船越橋の向こうには画像4のような対馬海峡の風景が広がる。
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[撮影年月日:2025.02.09/場所: 対馬本島の対馬空港に近い大船越にて]
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