「元寇の古戦場(佐須浦)」と題する小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)の案内板には次のように記される。画像5の古戦場周辺地図
(現地の対馬市観光案内板「小茂田浜神社」より)を参照ください。
文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)と二度にわたる蒙古来襲(元寇)で対馬・壱岐は、酸鼻を極める惨状を呈していたといわれている。
文永11年10月5日、蒙古元帥忽敦(こつとん)は兵3万、軍船900艘で対馬の西海岸一帯を侵略した。各地で激しい戦いがあり、
宗家の一族がそれぞれの任地で討死している。
守護代宗助国(そうすけくに)は、自ら親兵80余騎を従えて、府中から佐須に打って出、この地、小茂田の海岸に近い「ひじきだん」に
陣を備えたという。
700年前の佐須浦は現在の地形と異なり、川筋に沿ってかなり浦深い入江であった。従って、戦場は今の金田小学校付近と
想定されるが、諸説ある。
10月6日寅の刻(午前4時頃)戦いは始まり、助国らは奮戦したが、辰の下刻(午前9時頃)乱軍の中に武将たちは
戦没した。宗助国の墓と伝えられる「お首塚」が下原(しもばる)に、「お胴塚」が樫根(かしね)にあり、一群の首将の墓が
バラバラであるのも、その最後の壮絶さを物語っている。助国はこの時、68歳の老将であった。
この小茂田神社は、宗助国公以下国難に殉じた人々を祀っており、毎年新暦11月12日には慰霊の大祭が行われている。
昔をしのぶ「武者行列」のお下り、蒙古軍を迎え撃ったごとくはるかなる海の彼方に弓矢をかまえる「鳴弦の儀(めいげんのぎ)」
などの行事がある。
3
また、「小茂田浜海浜公園ごあんない」と題する佐須浦の案内板では、
「現在の海岸から1㎞程陸側には元寇の激戦地となった
ところがある。文永11(1274)年10月、元軍900隻、総勢約25,000名の軍勢が襲撃してきました。これに対して当時の守護代宗資(助)国は、80余騎
を含め総勢400名を引き連れこれを迎え撃った。しかし、多勢に無勢、約2時間奮戦するもあえなく全員散華するに至った」
と概略記されている。
[撮影年月日:2024.02.10/場所: 長崎県対馬・小茂田神社および小茂田浜海岸にて]
このページのトップに戻る
/Back to the Pagetop