画像1は歌川広重「浪花名所図会」の「八軒屋着船之図」(国立国会図書館デジタルコレクション)である。
江戸時代の八軒家(はちけんや)は、京都と大坂を行き来する三十石舟の発着場であった。また、野崎詣、金毘羅参などのさまざまな船も
発着し、陸路と河川水路とが交わる交通の要衝であった。同図では、「雁木 (がんぎ)」と呼ばれる階段状の船着き場に三十石舟が
浜に到着し、物資の荷下ろし人夫や客引きたちで賑わっている様子が描かれている。
さて、現在の大阪・八軒家の大川(旧淀川)沿いに建つ常夜燈(復元)の台座には「八軒家のいわれ」が刻まれている。
また同時に、「八軒家浜古写真(大阪城天守閣蔵)」と題される画像2の古写真が添えられている。
台座には、「江戸時代、大阪は商業の街として発展し、京都~大阪間を航行する三十石船などで、
大変賑わいました。当時この辺りには八軒の船宿があり、八軒家と呼ばれるようになったと言われています」。
そしてまた八軒家の歴史として、「7~8世紀頃この辺りに難波津があり、遣隋使・遣唐使がここから旅立った」こと、また
「明治時代以降は交通手段が陸上へと移るまで、この辺りは水上交通のターミナルとして賑わった」ことが記される。

さらにまた、台座には「熊野古道の起点・九十九王子」と題する略史が刻まれる。それによれば、
11~15世紀ごろ、現在の天神橋付近は、渡辺津(わたなべのつ)と呼ばれ、港として熊野参詣に利用されていた。それ故に、
現在では世界遺産としての熊野古道の起点として有名になっている。
熊野古道には幾つものルートがあり、特に紀伊路、中辺路には渡辺津から熊野三山までの間に百ヵ所近くの熊野権現を祭祀した九十九
王子があった。一の王子(窪津王子)があった場所は現在の坐摩(いかすり)神社行宮(大阪市中央区石町)とされている。
[撮影年月日:2025.04.01/場所: 大阪・大川(旧淀川)沿いの、天神橋・北浜・淀屋橋界隈の八軒浜の再整備地区にて]