名古屋市熱田区にある「宮の渡し(みやのわたし)公園」。公園内には「熱田湊(あつたみなと)常夜灯」や「七里(しちり)の渡し
舟着場跡」などの史跡があり、幾つもの案内板が配されている。それらを参考に「宮の渡し」について紹介することにしたい。
現在の「宮の渡し公園」がある熱田は、江戸時代東海道五十三次の宿駅であった。その熱田は江戸時代「宮」と呼ばれていた。
宿場名の「宮」は「熱田神宮」が鎮座しているが故の名前であった。そして、宮(熱田)にある「神戸(ごうど)の浜」から桑名宿
まで、即ち「宮の宿(みやのしゅく)」(熱田宿)から桑名宿まで、東海道にあっては唯一の海上路(海路、航路)で結ばれていた。
熱田での船着き場は「宮の渡し」(画像1)と呼ばれていた。また、宮の渡しは「七里の渡し(しちりのわたし)」とも呼ばれ、その海上7里
(約27㎞)の航路の舟着き場として栄えていた。
さて、宮の渡し場は城下町名古屋の玄関口として、また人・物を輸送する湊(熱田湊)としても重要な役割を果たしていた。宮の宿には、
大名の宿である本陣が2軒、一般の旅人の宿である旅篭は大小248軒あり、因みに1699年元禄12年には人口1万余人を数え、街道随一の
賑わいを呈していたと案内板には記されている。
また江戸時代、熱田湊は東海道の渡津として尾張における最大の港であった。そして、物流の拡大とともに、江戸・大坂通いの
廻船の泊地として一段と繁栄を極めた。尾張藩は、かくして熱田奉行所を置き、船舶を取り締まる船奉行、その下に
船番所・船会所などを置いて、旅人や貨物の検察・保安に当たったと、案内板に記されている。
なお、舟着場跡には画像2のような「熱田湊常夜灯」が建つ(1955年に建てられたレプリカである)。名古屋市教育委員会が設置した案内板
によれば、常夜灯は1625年(寛永2年)に藩の家老である犬山城主成瀬正房(正虎)が、父正成の遺命を受けて、須賀浦太子堂(聖徳寺)
の隣地に建立した。そして、その後風害で破損したため、承応(じょうおう)3年(1654年)に現在の位置に移り、神戸町の宝勝院に
管理が委ねられた、とされる。
[撮影年月日:2025.06.05/場所: 熱田区の地下鉄・名城線「熱田神宮伝馬町」駅から徒歩10~15分にある「宮の渡し公園 七里の渡し
舟着場跡」にて]