先ず画像1&3の出典について触れておきたい。JR参宮線・近鉄鳥羽線の「鳥羽駅」から海側または陸側に下りて線路沿いに150メートル
ほど南へ歩くと、鉄路を横切るアンダーパス(地下道)がある。
そして、その地下道内の壁面には、海賊衆の将・九鬼嘉隆(くきよしたか)の生誕から信長との出会い、さらに嘉隆による鉄甲軍船の建造や
鳥羽城の築造、彼の終焉に至るまでの略史について、幾つかの図絵とともに描かれている。アンダーパスは「九鬼ヒストリートンネル」
と称されている。画像はそれらの略史・絵図とともに提示されている写真の一枚である。
写真添付のキャプションによれば、「明治維新後、旧鳥羽藩士らが二の丸の海岸に鳥羽造船所(現在のシンフォニアテクノロジー)を
造営した。大正時代には鳥羽城大手水門跡(現鳥羽水族館)に3,000トン級の造船設備を有した」ことが記されている。
画像3に見るように、鳥羽城は「海城」と呼ばれ海に囲まれていた。北・西側は狭い水路(濠・堀)のような趣きであるが、
南・東側は海(鳥羽湾)に面し、大手水門がいわば城の正門であった。大手水門のすぐの背後には二の丸、三の丸があった。
キャプションには、旧鳥羽藩士らが二の丸の海岸に鳥羽造船所を造営し、また大正時代には大手水門跡に造船設備を有したとある。
画像2は鳥羽城本丸跡の少し北側から城の石垣を見下ろしたもので、石垣直下に見えるのが三の丸広場である。鉄路・国道の海側にある館群
は鳥羽水族館の諸施設である。その向こうの小島は「ミキモト真珠島」、その背後は「坂手島」である。
造船所や造船設備は眼下の三の丸広場付近から鉄路にかけて所在していたと推察される。
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画像4の①は鳥羽城本丸跡、③は三の丸広場を示す。出典:図中の「現在位置」(図中央上部)に建てられた鳥羽城跡案内板より。
[撮影年月日:2025.08.31-01/場所: 鳥羽駅南寄りの鉄道アンダーパスにて][拡大画像: x29447.jpg]