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海賊衆の将・九鬼嘉隆が築造した海城「鳥羽城」
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画像1は鳥羽城本丸跡付近から眺望した鳥羽湾の海景である。眼前の湾内にはミキモト真珠島の他、坂手島・菅島・答志島などの島々が
浮かぶ。直下には鳥羽水族館などを見下ろすことができる。
画像2の右寄り中央に写るこんもりとした杜が、今は天守閣・本丸などの館や櫓もない鳥羽城跡である。その左側にはかつて山裾に沿って
張り巡らされていた堀(濠)の一部と、そこに係留される小舟を見ることができる。撮影年代は不詳である。
鳥羽城は明治4年に取り壊され、今では堀の大半が埋められている(画像4参照)。
現在では、築造時の頃から遺るという、極一部の石垣くらいが往時の姿を偲ばせている。画像2では分かりづらいが、海は城跡の
右方(東側)全域に大きく開けている。
画像2&3の出典は次の通りである。
JR参宮線・近鉄鳥羽線の「鳥羽駅」から海側または陸側に下りて線路沿いに150メートルほど南へ歩くと、鉄路を横切るアンダー
パス(地下道)がある。その地下道内の壁面には、海賊衆の将・九鬼嘉隆(くきよしたか)の生誕から信長との出会い、さらに
嘉隆による鉄甲軍船の建造や鳥羽城の築造、彼の終焉に至るまでの略史について記され、また幾つかの図絵も掲示される。
アンダーパスは「九鬼ヒストリートンネル」と称されている。
画像3に見るように、旧鳥羽城は海に囲まれ「海城」と称されていた。画像4に示されるように、図の右方が北である。北・西側には現在
狭い水路(濠・堀)がわずかに遺されているが(大半は埋立てられてきた)、南・東側は海に開かれていた。そして、水軍の将の城らしく
「大手水門」がいわば城の正門となっていた。また、城の周囲には4つの水門(普通の門は3つ)が配されるという。
なお、「大手門」とは日本の城郭では正門を指す。「追手門」とも綴られる。通常では、城下町や街道に通じる門として、城の正面に
配されている。
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出典: 地図の中央上部に記される「現在位置」に建てられた「鳥羽城跡周辺観光案内板」より。
[撮影年月日:2025.08.01./場所: 三重県鳥羽市の鳥羽城跡にて]
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