海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, ナウ船ビクトリア号博物館Museo Temático Nau Victoria, パイオニアたちの博物館Museo de los Pioneros, サンティアゴ号の部材 fragmento de madero de la Santiago, サン・フリアンPuerto San Julián, アルゼンチンArgentine

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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マゼラン船隊の難破船⌈サンティアゴ号⌋の部材
[アルゼンチン、マゼラン船隊越冬地サン・フリアン]

南米アルゼンチン南部地域のパタゴニアの大西洋岸沿いにある、何の変哲もない小さな港町プエルト・サン・フリアン (Puerto San Julián)。 スペインからアジアの香料諸島 (スパイス・アイランド) を目指して西回り世界周航途上(1520年)にあったフェルディナンド・ マゼラン船隊長は、そのプエルト・サン・フリアンの入り江に船隊を入湾させ、数ヶ月間越冬した。

入り江は奥行きが極めて深いことから、冬期に南極方面からの吹きつける南寄りの強烈な風や、それによる波やうねりを しのぐには、またとない天然の避難場所であったに違いない。また、船体を岸辺に引き揚げ、船底を⌈甲羅干し⌋にして、 貝殻などの付着物を掻き落とすには最適な場所でもあった。

サン・フリアン市内の海岸沿いには、マゼラン船隊の越冬を記念して、人類史上初めて世界周航を成し遂げた⌈ビクトリア号 ⌋(ナウ型帆船)が復元・展示されている(⌈ナウ船ビクトリア号博物館⌋ Museo Temático Nau Victoria)。 マゼラン船隊は、マゼラン自身が乗艦した旗艦トリニダード号(110トン)、サン・アントニオ号(120トン)、 コンセプシオン号(90トン)、ビクトリア号(85トン)、サンティアゴ号(75トン)の5隻と乗組員総勢277名によって編成されていた。

マゼランの当座の最大関心事の一つは、大西洋から⌈南の海⌋へ通り抜ける海の道を探し出すことにあった。 1520年1月10日にラ・プラタ川(río de La Plata; 現在のウルグアイの首都モンテビデオから150kmほど西方に位置する。 河口にブエノス・アイレスがある)の河口に到達したマゼランは、最も小型のサンティアゴ号をもって内奥へと調査させた。 そこが大西洋から⌈南の海⌋へ通り抜ける海の道であるのか否かを確かめようとした。その結果、⌈南の海⌋へ 抜け出る海道ではなく、単なる河川であることが判明した。
* ⌈南の海⌋とは現在の太平洋のことである。その当時、バルボアは西欧人として初めてパナマ地峡を北から南へ 横断し海の存在を認めた。海は地峡の南側にあったので⌈南の海⌋と呼ばれたもの。

マゼラン船隊は更に南下し、サン・マティアス湾(Golfo San Matías; パタゴニアのバルデス半島 Península Valdésの北側に ある大湾)を調査した後、そのサン・フリアンにて越冬した(1520年3月31日から8月23日まで; 南半球における真冬は6~8月頃である)。 その後、越冬後再び南航を再開したが、出発早々に、スペイン人指揮官らが反乱を起こし、3隻が反乱側につくが、最後にはマゼランが 反乱を制圧することで落ち着いた。 その後、サンティアゴ号が偵察に出かけたが、サンタ・クルス川(río Santa Cruz)の河口付近にて難破してしまった。(下の地図参照)

サン・フリアン市内海岸沿いに立地する「ビクトリア号博物館」から数100mほどのところに「パイオニアたちの博物館」 (Museo de los Pioneros)があり、同市の歴史・文化・自然に関する文物などを展示・公開している。最も関心をひくのは、 そのサンティアゴ号の難破船の部材(木片)が展示されていることである。

陳列棚の表題は、⌈ナオ船サンティアゴ号の木片 Fragmento de Madero de la "Nao Santiago"⌋。その棚の 説明書きの一つ ("El Naufragio de la Nao Santiago") には概略以下のように記されている(同説明書きの出典は"Magallages": Carlos Valenzuela Solis de Ovando)[拡大画像: x26045.jpg]。

    5隻の船隊がサン・フリアン湾に船体修理と乗組員の休養のために停泊した。当地で幾人かの船長が反乱を起こした。 その後、マゼランはフアン・ロドリゲス・セラーノ(Juan Rodríguez Serrano)にサンティアゴ号を指揮するよう命じた。 1520年5月3日、南方へ偵察に出たセラーノは、大きな川の河口を発見し、⌈聖十字架発見の日⌋ (Día de la Invención o Hallazgo de la Santa Cruz)を記念してサンタ・クルスと命名した。 セラーノはこの河口が⌈南の海⌋への抜け道ではないことに確証を得た後、さらに南下を続けた。

    5月22日サンチャイゴ号は猛烈な暴風雨に襲われサンタ・クルス川の河口近くで難破した。現在のモンテ・レオン(Monte León) であると考えられている。 サンチャイゴ号は波に粉々に砕かれ、海岸に打ち付けられ、その後沈没した。黒人奴隷は別にして乗組員全員が助かった。 そして、サン・フリアンに11日間かけてたどりつき、マゼランらとの合流を果たした。

陳列棚内の説明書き (スペイン語版: 下記の通り)によれば、サンティアゴ号の木片は、1985年1月、海中考古学者のダニエル・ギレン (Daniel Guillén)によって発見された。10㎝長ほどの木片は、満ち潮で既に4mの深さになっていた海底の砂・岩に埋もれていた。 更に、木片がサンティアゴ号のものであることの証左として、例えば木片の樹種はアメリカ大陸には存在しないこと、 乾燥された状態であっても浮力を有しないこと、木片は化石化が進行していることなど、10項にのぼる技術的および歴史・ 地理学的諸点をもって論証している。 [拡大画像: x26047.jpg]

尚、マゼランは、1520年10月21日、南緯52度辺りの西方に大きくくびれた地点の岬(⌈一万一千の聖母の岬⌋と名付けられた) にて、後の「マゼラン海峡」への入り口を発見した。海峡内で分岐する水路を2隻ずつで進航したが、サン・アントニオ号が 意図的に離脱し、帰国の途についてしまった (1521年5月6日、スペインのセビリャに帰着した)。 マゼランはフィリピンのマクタン島での戦いでこの世を去ったが、航海を引き継いだエルカーノ他わずか18名の乗組員が スペインに帰還した。
* 資料: ⌈マゼランおよびエルカーノの歴史的偉業の略史⌋

[2014.3.16-17 アルゼンチン、パタゴニア地域、プエルト・サン・フリアンの⌈ナウ船ビクトリア号博物館⌋ 、および⌈パイオニアたちの博物館⌋にて] [拡大画像: x25905.jpg][拡大画像: x26051.jpg]




HALLAZGO DEL MADERO
A las 19.30 del día de enero de 1985, con una bajamar de 1,00m., a las 20.06 hs. ya a una profundidad promedio de 4 m. en marea alta, se observa debajo de una gran peñasco un objeto de unos 10 cm.: era sólo el extremo de un madero enterrado en la arena y debajo de esta roca.

Relato de Daniel Guillén, arqueólogo submarino, responsable del hallazgo.




TECNICAS
- La variedad de madera no pertenece al continente americano (según fuentes consultadas del Instituto Nacional de Tecnología Industrial).

- El madero, aún en estado seco, tiene flotabilidad negativa. Esto quiere decir que ni siguiera en agua de mar jamás flotó, menos aún con una humedad sumamente alta debido a las condiciones de navegación para un barco de madera de la época. Este factor de "no flotabilidad" descarta por completo que la zona donde naufragó la Nao Santiago haya sido "contaminada" con un resto de otro naufragio.

- En la actualidad presenta un avanzado estado de petrificación. Este proceso comienza entre los 150 y 200 an-os de sumergido en agua de mar, dado la absorción o saturación de sales.

- INTI Madera debió duplicar el sistema de disolución de fibras (maderas duras) debido a su extrema solidez.

- El peso específico es de 1,16, y tiene en la actualidad una humedad del 11%.

-El madero, a pesar de ser una de las maderas más duras y de haber estado protegido de la erosión directa, presenta canaletas de erosión originadas por el flujo y reflujo de agua y arena de mar.


HISTORICAS Y GEOGRAFICAS
-Se consideraron en en principio tres zonas posibles como lugar del naufragio: Cadena de León, Pico Quebrado y Monte León. El madero fue hallado en una de ellas, coincidiendo con un dibujo de Alaux, contemporáneo del naufragio.

- Se observan orificios producidos por clavos cuadrados, los cuales se dejaron de utilizar casi en su totalidad a fines de siglo XVIII. Sin embargo, existen construcciones navales de hasta un siglo después que presentan clavos con esas características.

- Una ilustración perteneciente al Museo Naval Británico detalla similitudes con el lugar conde se encontró el madero.

- El ángulo de entrada desde el océano hacia las pen-as donde se encontró el madero es idéntico al de los vientos predominantes desde el océano, Este (E) y Noroeste (NE), que fueron los causantes del naufragio.

- Un naufragio contemporáneo documentado ocurrió casi 15 an-os después en la zona de la boca del río Gallegos, a más de 200 km. del lugar. [拡大画像: x26047.jpg]

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1. サンティアゴ号の難破を描く絵画。 [拡大画像: x26046.jpg]
2. サンティアゴ号の木片を大事に保管する陳列棚。 [拡大画像: x26048.jpg][拡大画像: x26045.jpg: "El Naugragio de la Nao Santiago"][拡大画像: x26047.jpg: "Consideraciones sobre la Veracidad Científica del Hallazgo"]

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3. ⌈パイオニアたちの博物館⌋全景。 [拡大画像: x26049.jpg]
4. サン・フリアン市内の海岸沿いの⌈ナウ船ビクトリア号博物館⌋。右側にマゼラン船隊が越冬したサン・フリアン 湾が見える。 [拡大画像: x26050.jpg]

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5. 中央部の入り江内にプエルト・サンタ・クルス、その左奥にコマンダンテ・ルイス・ピエドラ・ブエナの町がある。そこから左方に 伸びるのがサンタ・クルス川である。地方道ルート63号線のマークのすぐ下方にモンテ・レオン島 (Isla Monte León) という地名が見える。 [拡大画像: x26052.jpg]

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6. 右上にプエルト・サン・フリアン、その下方の切り込んだ入り江内にプエルト・サンタ・クルス、さらに左下方にリオ・ ガジェイゴス、最下端にはマゼラン海峡およびその入り口に⌈一万一千の聖母の岬⌋がある(地方道ルート27号線の マークのところ)。地図にはないが、海峡の下方にティエラ・デル・フエゴ島がある。 [拡大画像: x26053.jpg]

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7. サンタ・クルス川を見下ろす。左側が下流方面で、プエルト・サンタ・クルスを経て大西洋に通じる。 [拡大画像: x26055.jpg]
8. 右端の町がコマンダンテ・ルイス・ピエドラ・ブエナで、上流方面を見る。 [拡大画像: x26054.jpg]


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