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「宗谷」は1938年(昭和13年)耐水型の貨物船として建造された。太平洋戦争を経験した宗谷はその後引き揚げ船、灯台補給船となり、
1956年(昭和31年)11月からは日本初の南極観測船として就役し、1962年(昭和37)年4月まで6次にわたる南極観測に従事した。
その後、1978(昭和53年)に退役するまで、海上保安庁の巡視船として就役した。初代の南極観測船である「宗谷」は、1979年(昭和54年)
5月から、東京・「船の科学館」前に係留され永久保存されている。
1956年(昭和31年)11月8日、第1次南極観測隊(乗組員77名、観測隊員53名)が、カラフト犬(タロ、ジロを含む22頭)と共に、「宗谷」で
東京港晴海ふ頭から南極へ向け出港した。1957年1月24日、オングル島付近に接岸、翌25日から昭和基地建設開始。同月29日、オングル島に
公式上陸し、昭和基地と命名された。
そして、昭和基地にて1957年の冬季を越す第1次隊員として11名が抜擢された。犬係に任命されたのは菊池徹と北村泰一であった。
越冬するカラフト犬は22頭のうち最終的には19頭となり、その越冬の際に犬ぞりなどに使役された。越冬期間中に2頭が病死、
1頭が行方不明となっていた。
翌年の1958年(昭和33年)2月、先の第1次越冬隊員と入れ替わる予定の第2次越冬隊員を乗せて、宗谷が南極付近に到着した。
しかし、悪天候のため宗谷は昭和基地に接岸できなかった。第1次越冬隊員すら基地から小型雪上車でかろうじて宗谷へ帰還した。
越冬した10数頭(15頭とされる)の犬は基地付近に繋がれたまま残された。犬の救出もさることながら、「宗谷」自身の遭難の
危険もあったため、第2次越冬隊の基地への派遣が断念され、また犬の救出そのものも見送られた。繋がれたままでの極寒の環境下での
犬の生存は絶望的であった。
その後第3次越冬隊が派遣され、1959年(昭和34年)1月同越冬隊のヘリコプターが基地の上空にさしかかったところ、基地に2頭の犬が
生存していることが上空より確認された。その後、第1次越冬隊において犬係であった北村が「宗谷」から派遣され、
2頭はタロとジロであることが確認された。
基地では7頭が首輪につながれたまま死亡、他の6頭は消息不明であった。
タロとジロが生きていたことは日本中に感動と衝撃をもたらした。タロは第4次越冬隊と共に、1961年5月に4年半ぶりに帰国した。
1961~1970年まで札幌の北海道大学植物園で飼育され、1970年(昭和45年)8月老衰のため没した。
ジロは第4次越冬期間中の1960年(昭和35年)7月に昭和基地で病死した。両犬は剥製にされ、タロは同植物園にて、またジロは
国立科学博物館にて展示されている。
1956年・昭和31年11月: 第1次南極観測隊、「宗谷」で出発する。
1957年・昭和32年1月: 南極大陸オングル島に公式上陸、「昭和基地」開設する。
1957年・昭和32年2月: 初の南極越冬11名で開始。「宗谷」が帰路において氷海に閉じ込められ、同月28日ソ連の「オビ号」の救援を
受ける。同年4月24日東京港へ帰着する。
1957年・昭和32年10月: 第2次南極観測隊、「宗谷」で出発する。
1958年・昭和33年2月: 悪天候により第2次越冬を断念、タロ、ジロを含むカラフト犬15頭をやむなく南極に残す苦渋の決断を下す。
1958年・昭和33年11月: 第3次南極観測隊、「宗谷」で出発する。
1959年・昭和34年1月: 同月14日、カラフト犬タロ、ジロの生存を確認する。
1959年・昭和34年11月: 第4次南極観測隊、「宗谷」で出発する。
1960年・昭和35年11月: 第5次南極観測隊、「宗谷」で出発する。
1961年・昭和36年11月: 第6次南極観測隊、「宗谷」で出発する。
1962年・昭和37年4月: 「宗谷」による南極観測を終了する。
参考: グーグル検索「タロとジロ」、ウィキペディア「タロとジロ」。
[2014.3. 画像aは2011撮影、画像bは2011年撮影、いずれも「宗谷」の船内展示]
a.[拡大画像: x26308.jpg] b.タロジロ、科学館2011.8.3. [拡大画像: x26306.jpg]
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