「最新世界史図説 タペストリー(7訂版)」(2009年、帝国書院発行)をひもといてみた。紀元前3~4世紀頃の世界情勢をおおまかに俯瞰できる。
ユーラシア大陸西方では、アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)の帝国が一時的に成立し、ギリシアとオリエントの
文明を融合したヘレニズム文化が形成された。インド亜大陸では、アレクサンダー大王による東方大遠征による侵入の後の混乱を機に、
マウリヤ朝が成立し、アショカ王はそのほぼ全域を統一するにいたった。
中国では戦国時代を経た後、始皇帝が紀元前221年に秦を建国し、漢帝国の誕生へと続き、中華帝国の原型なるものが形成された。
中国北方域の草原地帯では、遊牧騎馬民の匈奴 (きょうど) が勃興するにいたった。
アレクサンドロス大王は、紀元前334年にマケドニアを出でて東方遠征を行った。前333年、イッソス (現トルコ南東部の地中海沿岸
都市アダナ近傍) の戦いにてダレイオス3世のペルシア軍を打ち破った後、現在のエジプト、イラク、アフガニスタン(カンダハル、
カブール)を経て、インダス川上流域まで達着したが、前326年にしてインドからの帰還を決意するにいたった。帰還途上にあった大王は、
前323年現在のイラクの地にあるバビロン (現バクダッドの近傍) にて熱病に犯され没するいたった。
因みに、大王が没した後のエジプトについては、彼の部下のプトレマイオス1世の統治下に置かれ、プトレマイオス朝が開かれた。
紀元前332年、アレクサドロス3世によってナイル河口に建造されたアレクサンドリアは、ナイル川によって形成された大デルタ地帯の
うちの地中海沿岸に立地していたが、そこは平坦な土地ばかりが広がり、デルタ沿いに沿岸航行するにも、また湾内の港に入るにも、
陸標となるものがなかった。故に、プトレマイオス1世は陸標となる灯台を建造することとした。
大灯台(Lighthouse of Alexandria)はアレクサンドリア湾岸地先にあるファロス島に建造された。同島とアレクサンドリア湾港との
間は人工的なコーズウェイで結ばれていた。紀元前305年から建設工事が開始され、プトレマイオス2世の統治時代に完成した。
建材には大理石が用いられ、約134メートルの高さがあったという。構造は、方形の基層部の上に3層の塔が建てられた。最下層部は四角柱、
中層部はその一回り細い八角柱、上層部はさらに細い円柱を基本構造とした。最頂部に灯光としての炎を燃やすやぐらが設けられた (光源には
油脂を燃やしたといわれる)。
最頂部には鏡が置かれ、日中はこれに陽光を反射させ、夜間は炎を燃やして反射させたといわれる。灯光は約56km(約35マイル)
離れた海岸からも視認することができたとの伝説がある。大灯台は796年の地震で半壊した。その後、1303年と1323年の地震で完全に
崩壊するにいたった。
[参考] 観音崎自然博物館で切り撮った画像の模型は2層構造のように見受けられる。上述した方形の基層部と最下層部の四角柱とが
合体したような構造になっていて、その上の中層部は6角形の塔をもつ。最頂部には灯光としての炎を燃やすための櫓 (やぐら) がある。
* ウェブサイト: 観音崎自然博物館/電話: 046-841-1533。
* 博物館へのアクセス: 京浜急行・浦賀駅から観音崎行き京急路線バスにて腰越下車、徒歩5分。JR横須賀駅または京急馬堀 (まぼり)
海岸駅から観音崎行き京急路線バスにて終点の観音崎下車、徒歩10分。
* 参考資料: ウィキペディア/アレキサンドリアの大灯台。
[2014.10.29. 観音崎自然博物館にて][拡大画像: x26595.jpg][拡大画像: x26596.jpg: 説明書き]
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