一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
移民船らぷらた丸(図絵&模型) [石川達三と旧神戸移住センター]
1928年に神戸・六甲山麓に国立移民収容所 (旧神戸移住センター) が開設された。石川達三が自分自身の体験を描いた
小説「蒼氓」(そうぼう)の舞台である。収容所はブラジルを中心に南米へ移住する人びとを送り出した。
現在日本で唯一残る旧移住関連施設である。ここから何十万という移住者が大きな希望と、それと同じくらいの不安を胸に、
神戸港の突堤に待つ移民船へと坂道を下って行った。坂道とは同収容所からJR元町駅へまっすぐのびる鯉川筋のことである。
鯉川筋 (元町駅からはメリケンロードへとつながる) は、まさに移住者の歩いた道である。移民坂と称された。
同収容所は、1958、59年には、実に年間20,000人の移住者によって利用され、ブラジルなど南米に旅立って行った。 後に神戸移住移住センターへと改称された同収容所は、1971年に閉鎖された。2009年に「ブラジル移住100周年」を記念して、 現在の「海外移住と文化の交流センター」としてオープンした。 南米ブラジル第一回移住船「笠戸丸」が781名の移住者を乗せて神戸港を出帆したのが、1904年(明治41年)4月28日のこと である。結局のところ、戦前・戦後あわせて、約25万人の移住者が同収容所からブラジルへ移住して行った。 それを祈念して、1979年に同センター敷地内に「ブラジル移民発祥之地」の碑が建立された。 現在メリケンパークには移民船乗船記念碑が建立されている。 「神戸港は雨である。細々とけぶる春雨である。」は、石川達三の第一回芥川賞受賞(1935年)の「蒼氓」(そうぼう)の一節である。 「蒼氓」は、1930年の国立移民収容所を舞台に、出航までの移民たちの日々の生活や心の葛藤などを描いた小説である。達三は、25歳の時の 1930年に、国立移民収容所に入所した。そして、文学的新境地を求めて、同年3月「らぷらた丸」の移民輸送の助監督として 神戸を出港し、ブラジルへと渡った。 わずか3か月の移民生活を体験して、同年6月帰国し、渡航前の勤務先の国民時論社に復職した。この経験を基に 1931年(昭和6年)に執筆したのが「蒼氓」であり、第一回芥川賞に輝いた。 * 「蒼氓」は1937年(昭和12年)に映画化された。しかし、その映画フィルムは保存版がなく、国立近代美術館にスチール写真が 存在するのみである。
石川達三の略歴 [画像撮影 2016.5.28/画像1&2: 旧神戸移住センターにて][拡大画像: x27263.jpg][拡大画像: x27278.jpg] |
[資料/旧神戸移住センター][拡大画像1: x27264.jpg: 石川達三の略歴など][拡大画像3: x27266.jpg/1937年 (昭和12年) に映画化された 「蒼氓」のスチール写真][拡大画像4: x27267.jpg: 第一回芥川賞の「蒼氓」エピソード] |