北海道の日本海沿岸において、19世紀後期から20世紀初期にかけて、かつてニシン漁が大いに栄えた。
小樽近傍の祝津 (しゅくつ) 地区の旧青山家はニシン漁の大網元であった。もともと、青山家は1859年(安政6年)に山形県庄内地方から渡道し、
小樽沿岸を中心にニシン漁を営んだ魚家である。最盛期には祝津沿岸だけでも16ヵ統もの建網の権利をもち、ニシン漁場を
営んだという。かくして、青山家は19世紀後期から20世紀初期にかけてニシン漁で栄華を極めた。
画像は往時の栄華をつたえる旧青山別邸(主屋、文庫蔵、板塀など。いずれも1923年・大正12年の建築)である。正に、
明治から大正時代にニシン漁で得た財で建てられたニシン御殿である。「小樽貴賓館」(Villa of the former Aoyama Family)
といわれ、贅を尽くした造りである。国登録有形文化財(文科省登録)でもある。
案内書きによれば、「青山留吉・政吉の親子二代にまたがり財をなし、青山家最盛期の
大正7年 (1918年) 二代政吉が娘夫婦の民治・政恵と共に別荘の建築にとりかかった。当時政吉はにしん大尽(最高の贅を尽くせる
大金持ちの意)と呼ばれていた」。
因みに、旧青山家漁家住宅の主家については、同じ祝津地区に1919年 (大正8年) に建てられた。漁に従事する出稼ぎの者が寝起きしたりした番屋の
建築である。このほか、文庫倉、石倉、米倉などが所在したが、それらは北海道開拓記念村に寄贈されたので、
今では同村に移築・復元されている。
別邸内の巻き物によれば、「小樽にしん場の繁栄」と題して次のように記されている。
「大正年間のにしん漁の資料「北海道鰊漁報」に「大正8年第1期の鰊漁獲高、未曾有の
大豊漁61万4,000石(約46万500トン、現在の値段に換算して約1,681億5千万円)」の記載があります。
(註)56万500トンと記されているが、筆者が46万500トンと記載修正した。
特に祝津での漁獲高は、最高水準を示し、正ににしんの大豊漁に祝津の港は湧きかえっておりました。当時祝津
にしん漁の三大親方は、茨木家、白鳥家、青山家でありました。「鰊は魚に非ずして、米なり」と言われた時代で、
米の相場と、にしんのシメ粕の相場が同じでありました。
大正年間の青山家直営の漁場は、祝津の元場に一ヶ統半、となりの出張に一ヶ統半、豊井の漁場に二ヶ統半、
雄冬村に五ヶ統の計十ヶ統半でした。
大正3年頃の青山の漁場は1万石以上の水揚げがありました。1万石(2,000万貫、7,500トン)は現在の値段
に換算して約25億円以上になります。
[参考1]一ヶ統は漁夫25人~30人。一夜の水揚げ数百石(1石は750㎏)。一ヶ統の網に入ったにしんの匹数
50万~60万匹。
[参考2]当時、漁場の一日の出面債1円、漁の賃金、三か月で80円。
現在でも雄冬の青山家の印「仐」の残る鰊番屋、留萠には花田番屋が壮大な姿をとどめている。
なお、現場の建物、これも豪壮な建物でありますが、青山馨によって北海道開拓記念の村に寄贈されています」。
[画像撮影: 2016.9.24/小樽・祝津の旧青山家別邸にて][拡大画像: x27372.jpg][拡大画像: x27373.jpg: 説明書き]