画像は「蒸気船通運丸」の模型(縮尺=1:25)である。キャプションには、「内国通運(日本通運の前身)が石川島造船所に発注し、
明治10年代から利根川水系に就航させた外輪式汽船。これは第38通運丸で、全長約22メートル。喫水深度が極端に浅く、
内陸水路に適した構造であった」と記される。
また、「河川交通に活躍した船」と題する案内書きによれば、「明治10年(1877)に通運丸が就航するなど、利根川や江戸川は
蒸気船の交通路ともなりました。沿岸の貴重な交通手段として、利根運河の開通後は東京-銚子間を約18時間で結びました」
と記される。
「鉄道の発達と内陸水運」と題する案内書きによると、「明治に入っても、はじめ物資輸送の主流は水運が担っていました。
初期から蒸気船が利根川航路に就航し、明治23年には利根運河が開通しました。この年、運河を通航した舟・いかだは延べ3万7千隻
に達したが、以後この年を上回ることはありませんでした」と記される。その利根運河通航にとって最大の抑制的圧力となったのは、
鉄道事業の発展であった。
1890年(明治23年)から1940年(昭和15年)までの「利根運河通航量の変遷」グラフによれば、その年間通航量は、1890年から
の明治期には毎年ほとんど3万隻以上、大正期には1~2万隻、昭和初年から1940年(昭和15年)までは1万から5千を少し上回る程度で推移した。
(通船数(隻)には和船・汽船を含む)。なお、昭和16年には政府が運河会社を買収した。
[撮影日時:2019年7月24日/撮影場所:千葉県立博物館][拡大画像: x28647.jpg]