新潟県の日本海に面する町・出雲崎に「越後出雲崎天領の里」と称される道の駅がある。そこに「天領出雲崎時代館」という出雲崎の歴史文化
を紹介する展示館がある。館内には「出雲崎石油記念館」が併設されている。画像はその時代館に展示される、江戸時代に佐渡の佐渡奉行所
が所有した御用船のかなり大型の和船模型である。
○ 「御用船(御奉行船)」と題する展示案内パネルには次の通り記される(原文のまま)。
佐渡奉行所は江戸時代を通じて、御用船と御船手組(おふなてぐみ)をもっており、
この船で、佐渡の小木と出雲崎の海路を往復していました。
とくに江戸初期には日本海の海運もまだ発達しておらず、海路には海賊も出没していました。
おまけに佐渡は、上杉や前田という強力な大名にかこまれているので、大型の軍船を何
艘もつくっていたようです。
しかし、正保四年(1647)以降は、大小の小早船各二艘となりました。
この船も佐渡へ渡る奉行の足として、また江戸時代末期には佐渡からの金銀を積んで出雲崎へと
往復していました。
○ また、「御奉行船」と題する展示案内立板には次の通り記される(原文のまま)。
○ さらに、「御用船、海を渡る」と題して以下のような展示案内が記されている(ほぼ原文)。
佐渡奉行所が初期の頃に所有していた御用船(奉行船)は櫓の数が80丁もあるかなり大型船
であったが、次第に中型の船に変わって行った。中型船であっても渡海するのには多くの労力を
要し、航海には大変な苦労を伴った。
佐渡奉行所は、江戸時代の間、自前の船である御用船(奉行船)を所有し、船乗りを雇い入れ
していた。初代佐渡奉行の大久保長安は1603年(慶長8年)、紀州(今の和歌山県)から船2艘
を運ばせ、船乗り160人を関西から佐渡に呼び寄せ奉行所で雇い入れした。
江戸時代初期の頃は、戦国時代の名残があって海では海賊も出没した。また佐渡では上杉・前田という強力
大名によって大型の軍船が幾つも建造された。その後は、海は安全になるとともに、1647年以後では御用船は
大小2艘の船の2組となった。
巡検使や奉行が佐渡へ渡海するには海の荒れない日を選んだが、余り風がないため帆走には適さず、
佐渡まで人手をもって櫓を漕ぐ他なかったが、それは労苦が多かった。実際には御用船を引っ張る引き船
を本土側の出雲崎と佐渡側の小木の双方から供出して航海を助けた。
[撮影年月日:2020.10.24/撮影場所: 新潟県出雲崎の道の駅「越後出雲崎天領の里」に併設される「天領出雲崎時代館」にて]
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