「マルテルスの世界図」解説パネルには次のように記されている。
「大航海時代の新しい地理的情報は、2世紀にプトレマイオス
が地球を球体としてとらえて作った最初の世界地図に反映されていった。1490年に作られた
マルテルスの世界図はインド航路発見以前だが、スカンジナヴィア半島が描かれ、アフリカは
喜望峰を最南端とする周航しうる大陸となっている。」
ポルトガル国王ジョアン2世の命にて、バルトロメウ・ディアスがカラベラ船2隻と輸送船1隻をもって1487年
8月リスボンを出帆し、アフリカ西海岸を南下した。同年12月末船団は2週間ほど続いた時化に遭遇した。
結果的にアフリカ南端を周回することとなり、南緯33度に位置する現在のグレート・フィッシュ川に到達した。
ディアスはその南端の岬を「嵐の岬」(カーボ・トルメントーソ)と命名したが、後にジョアン2世が「喜望峰」(カーボ・
デ・ボア・エスペランサ)と命名した。ディアスがリスボンに帰着したのは1488年12月のことである。
マルテルスの世界図では、スカンディナヴィアが細長い半島として描かれ、アフリカ大陸が南東方向に大きく
伸ばされて描かれている。最大の特徴としては、ディアスによる喜望峰の周回の成果が取り込まれ、大西洋が
アフリカ大陸の南を経てインド洋に繋がっていることである。
アフリカ西岸を南下しアフリカ南端を周回してインド西岸までのいわゆるインド航路がバスコ・ダ・ガマによって
開拓されるまでさらに10年を要した。
ガマがサン・ガブリエル号にて1497年に出帆し、リスボンに帰着したのは1499年8月のことであった。
[2010.09.04.宮城県慶長使節船ミュージアムにて][拡大画像: x23393.jpg]
辞典内関連サイト
・ 世界の海洋博物館
・ 日本の海洋博物館
・ 慶長遣欧使節船ミュージアム&復元船サン・ファン・バウティスタ
サンファンバウティスタ博物館の公式ホームページ
|