海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 横浜港・象の鼻Zo-no-Hana Wharf, Elephant's Nose Wharf, 横浜Yokohama

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横浜・国際港発祥の地「象の鼻 (波止場)」 [横浜]

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現在の横浜・国際客船ターミナルのある大桟橋 (おおさんばし) の付け根にある「象の鼻」は、いわば国際横浜港の発祥の地である。 当地の案内パネルによれば、その歴史的系譜は以下の通りである。
    「象の鼻とは」
    江戸時代末期、日本に開国を求めて米国・ペリー提督一行が来航した。幕府は、東海道筋から離れた一寒村であった 横浜を交渉場所とした。嘉永7年 (1854年) に、日米和親条約が締結された。また、安政5年 (1858年) には、米、蘭、露、英、仏の5か国 との間に修好通商条約が結ばれ、翌安政6年 (1859年) 6月2日に横浜港が開港するにいたった。 港には波止場が造られ、そのうちの一つ西波止場 (イギリス波止場、後の「象の鼻」) は、国際航路に乗船した旅客の出入りや輸出入品の 上げ下ろしに利用された。 初代の波止場は、2本の平行な形状だったが、慶応2年 (1866年) の大火をきっかけに周辺道路が再整備されたのにともない、波止場の 延長工事が行なわれた。その際、東側の波止場は、波除けとして機能するよう大きく湾曲した形状に造り変えられた。こうして、 後に「象の鼻」と呼ばれる防波堤が誕生した。
日本が開国した当時の国際港には波止場と合わせて台場 (砲台) が施された。明治4年 (1871年) 岩倉具視を全権大使 とした使節団が西洋諸国に向けて「象の鼻 Zou-no-Hana (Elephant's Trunk)」(波止場) から出発した。その際にも「神奈川台場」 から祝砲が打たれたという記録が残されている。
[2012.3.03 横浜の「象の鼻パーク」にて]
1.[拡大画像: x25064.jpg] 2.[拡大画像: x25065.jpg] 3.[拡大画像: x25066.jpg] 画像1-2: 当地の案内パネル、画像3: JR関内駅前 案内パネル

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4. 「象の鼻」防波堤 (画像中央) は明治中期の姿に復元されている。 [拡大画像: x25067.jpg] [拡大画像: x25068.jpg: 説明書き「象の鼻 (波止場) と神奈川台場」]
5. 大桟橋周辺の地図。 [拡大画像: x25059.jpg]

辞典内関連サイト
・ 世界の海洋博物館
・ 日本の海洋博物館


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