一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
英国海軍戦勝記念柱/1588年「アルマダの海戦」
(英国艦隊とスペイン無敵艦隊とのフランス・カレー沖での海戦) [英国プリモス]
スペインのメディナ・シドニャ提督が率いるスペイン無敵艦隊は、1588年7月12日早朝、
イギリス海峡をめざしてラ・コルニャ湾の泊地を出撃した。
英国海軍長官チャールズ・ハワード、フランシス・ドレーク提督、およびフロビッチャー提督らが率いる英国の全艦隊が集結
したのがこのプリモス沖の海域、いわゆる「プリモス入り江」(The Plymouth Sound) であった。 ハワード長官、ドレークらがプリモスの「ホーの丘」 (The Plymouth Poe) の芝生で屋外ボーリング を楽しんでいる折、イギリス海峡入り口 (スペイン寄り) を北東に進む130隻、総勢約30,000万ものスペイン無敵艦隊 (Armada Invencible) を視認したという、自国艦からの第一報「敵艦見ゆ」がもたらされた。 そして、全英国艦隊がプリモス・サウンドから相次いで出撃して行った。
同艦隊はスペイン艦隊を追尾して、イギリス海峡北東の出口 (北海側) 近くにあるフランスのカレー (Calai)
の沖へ。海賊出身らしいドレーク提督の大掛かりな火船作戦が功を奏し、スペイン艦隊をついに撃破するにいたる。
かくして、英国エリザベス女王はスペイン国王に痛撃を食らわせた(これが「アルマダの海戦」と称される戦いである)。
だが、当時の新興国イギリスに比べれば、海洋大帝国のスペインはまだまだ圧倒的力を残していた。
画像は、英国南西部コーンウォール半島にあるプリモスの「ホーの丘」に建てられた海軍戦勝記念柱である。その正面に 張り付けられた銅板はそのアルマダ海戦の様子を描写する。 その上の石壁に刻まれているのは 「 He blew with his winds and they were scattered 」という碑文である。 当時のエリザベス女王が自国海軍最初の大勝利を記念して賞牌をつくり、「神、風を与え賜い、彼ら四散せり」と刻ませた。 その文言が記念柱にも刻まれている。
記念柱下の礎石*には、
また、プリモス市観光案内パネルには、
[参考] カレー沖の海戦は「アルマダ (Armada) の海戦」と呼ばれる。「Armada」はスペイン語読みではアルマーダ (海軍・艦隊などの意) である。
無敵艦隊はスペイン語で「Armada Invencible」となり、読み方は「アルマーダ・インベンシーブレ」である。
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1 2 3 1. 海軍戦勝記念柱の全景。大勝利を収めた対スペイン無敵艦隊との「アルマダの海戦」 (1588年) の様子を描くレリーフが正面に 飾られている。 [拡大画像: x25248.jpg] 2. 「ホーの丘」 (The Hoe) に立つ「スミートンズ・タワー」 (Smeaton's Tower)。プリモスの南西方向22kmの海域にある 「エディストーン岩礁」(Eddystone Reef)に建てられていたが、現在はこの丘に移築されている。 眼下の「プリモス・サウンド (Plymouth Sound プリモス入り江)」の先にはイギリス海峡が広がる。 海はさらにフランス、ポルトガル、そして 無敵艦隊を送り込んだスペインへと続く。タワーの後方に戦勝記念柱、ドレーク提督像 が並んで立つ。 [拡大画像: x25482.jpg] 3. フランシス・ドレーク提督の銅像。ドレーク提督はマゼラン船隊に次いで世界周航 (1577-80年) を成し遂げた航海家でもある。 彼はこのプリモスから船出し、ここに帰還した。 [拡大画像: x25483.jpg] * 礎石説明書き [拡大画像: x25249.jpg][拡大画像: x25250.jpg] |