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画像は、オスマン帝国軍艦の「エルトゥールル号展 ~トルコと日本―友好の航路~」と題して開催された特別展を
案内するポスターである。2013年10月30日~11月19日、在京のトルコ共和国大使館にて開催された。
「エルトゥールル号」(Ottoman Frigate Ertugrul) は、時のオスマン帝国皇帝アブドュルハミド2世 (Sultan Abdülhamid II)
の命により日本に派遣された特派使節を乗せて、1889年7月にイスタンブールを出航した。
同艦には特使のオスマン・パシャ大佐(日本への航海途上において提督に昇進した; Admiral Osman Pasha) および士官学校卒後間もない
若い少尉を多く含む650余名が乗り込んでいたという。艦は1890年6月7日、横浜港に到着し、提督は明治天皇に謁見した。
同年9月15日に帰途に就いたが、9月16日夜悲劇の大惨事が起こった。
紀伊半島の串本近海にて台風の暴風雨に巻き込まれた同艦は、不幸にして、9月16日夜岩礁に激突して遭難した。
串本の潮岬の地先に「紀伊大島」という小さな島が浮かぶ。その東方突端の「樫野崎(かしのざき)」の崖下に
「船甲羅」と呼ばれる岩礁がある。同艦はその岩礁に乗り上げてしまったものである。
艦内に浸水してきた海水によって、艦内の蒸気機関は大爆発を起こし沈没するにいたった。
大島の村民は夜を徹して献身的な救助活動を行った。救助され生き延びた乗組員はわずか69名であり、580余名が犠牲者となった。
しかもオスマン特使をはじめ300名以上の遺体はついに発見されることがなかったという。
生存者は、後に日本の軍艦「比叡」および「金剛」によってイスタンブールまで送り届けられた。
展示には「エルトゥールル号」の模型、来訪航程図、横浜大桟橋に停泊中の同艦の写真、乗組員や生存者の写真、
軍艦「比叡」・「金剛」、両艦乗組員のためのレセプション写真、海底から引き揚げられた遺物、海難を伝える
当時の報道新聞記事、両国友好関連史料などが展示された。
同艦の遭難は日本沿岸での船舶海難史 (平時) に刻まれる大惨事であったが、日本・トルコ両国民の友好関係の歴史的原点と
位置づけられよう。
「エルトゥールル号」は両国民に親善と友愛精神の航跡を残しつつ今も航海を続けているといえる。
[参考1] 海難当時串本の大島村は和歌山県東牟婁(むろ)郡に属していたが、後に串本町に合併された。
[参考2] 「エルトゥールル号」要目: 609馬力の蒸気機関を搭載。排水量2,400トンの大型木造艦。全長76.3m、
幅員13.3m。口径15インチ艦砲8門、アームストロング砲5門。艦齢25年が経っていた。
[2013.11.18. トルコ共和国大使館でのエルトゥールル号特別展にて][拡大画像: x25667.jpg][拡大画像: x25668.jpg: 2010年6月、
時のトルコ海軍司令官・提督訪日に際し、両国民の友好のさらなる発展を願って寄贈された楯に刻まれたエルトゥールル号]
辞典内関連サイト
・ 世界の海洋博物館
・ 日本の海洋博物館
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