① 英国軍艦「バウンティ号」の航海長クリスチャン以下12名の反乱者および非反乱者13人は同艦に残るとともに、
ブライ艦長以下19名を太平洋上で救命艇に乗せて追放し漂流させた。追放行動は1789年4月29日のことである。
切手①は1989年仏領ポリネシア発行。「Bicentenaire de la mutinerie à bord du Bounty バウンティ号艦上における反乱
の200年祭」と記されている。 [拡大画像: x25987.jpg][拡大画像: x25988.jpg]
② 英国軍艦「バウンティ号」において反乱が起こったのは1789年4月28日のことである。
ウイリアム・ブライ艦長以下19名が反乱者によって太平洋上で救命艇に乗せられ追放された。反乱者はその後、当時地図になかった
ピトカン島 (Pitcairn Is.) へたどり着き、永住するにあたり同艦を炎上させて自ら退路を断った。今でも反乱者の子孫が住む。
「The Burning of the Bounty at Pitcairn Island 23 Jan.」と記されている。
辞典内関連サイト
・ 英国海軍艦「バウンティ号」の反乱(1789年)
・ 世界の海洋博物館
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