海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 中濱万次郎(別称ジョン万次郎)John Manjiro, 東京・雑司ヶ谷霊園

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


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雑司ヶ谷霊園に眠る中濱万次郎(別称「ジョン万次郎」) [東京・豊島区]

中濱万次郎(別称ジョン万次郎)が眠る、東京・豊島区南池袋にある都立雑司ヶ谷霊園を訪れ、その墓前にて合掌。

万次郎は四国・土佐中ノ浜の生まれである。貧しい漁師の倅であった、当時14歳の万次郎は、1841年仲間とともに出漁中に遭難・漂流し、 無人島 (鳥島) に漂着するにいたった。半年後、米国捕鯨船ホイットフィールド船長に偶然救出され、ハワイへ。 万次郎自身は同船長の故郷米国マサチューセッツ州フェアヘブンへ、そこで「文明教育」を受けた。 異国で英語、数学などを学び、最新の航海、捕鯨、造船技術などを修めた。また、捕鯨船に乗り込み航海・捕鯨の経験をも積んだ。 正に偶然の運命に導かれてのことであった。

望郷の思いは断ちがたく、苦難の末1851年に帰国を果たした。その後は、土佐藩に次いで幕府にもつかえるにいたった。 1860年、日米条約批准書交換のための幕府使節の通訳官として、随行船「咸臨丸」にて福沢諭吉、勝海舟らと太平洋を渡った。 幕府・明治政府の下で、開成学校 (東大の前身) 教授などの要職に次々と任じられた。誠に稀有にして偶然の成り行きに導かれ、 時に他者に求められ人生の選択となすことを受け入れながら、万次郎は日本の黎明期にあった江戸末期から明治初期の世を駆け抜けた。 彼の歩んだ人生をひも解けばひも解くほどに、深く魅せられるところ誠に多し。

* 「ジョン万次郎漂流記」(1937年)を著した井伏鱒二の生年である1898年 (明治31年) に、万次郎享年72歳にしてこの世を去る。 東京・豊島区南池袋4-21-5、都立雑司ヶ谷霊園1種15号19側1番に眠る。2012年8月23日・記


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