一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
神戸の昔の港景/開港10年後のウォーターフロント
江戸末期における兵庫(神戸)の開港をめぐる歴史をたどると、 ・ 1854年(安政元年)3月、徳川幕府が日米和親条約に調印する。 ・ 1858年(安政5年)、日米修好通商条約を皮切りに、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと同様の条約(安政5ヶ国条約) が締結される。兵庫港の開港が取り決められた。 ・ 1859年(安政6年)7月、江戸幕府が、神奈川 (横浜)、長崎、函館を開港し、条約の締約国と通商を開始する。 ・ 1868年(明治元年)1月1日(慶応3年12月7日)、幕府が、兵庫港 (1892年に神戸港に改称する) を開港する。
因みに、兵庫港は1868年1月1日(慶応3年12月7日)から開港したが、その前年の1867年(慶応3年)8月に、
幕府は神戸の外国人居留地 (foreigners' settlement) の土地造成に着手した。居留地の街の設計を手掛けたのは英国人土木
技師J.W.ハート氏であった。
画像はC.B.バーナードが描いた1878年頃の居留地海岸通りの風景画である。
絵画では、海岸通りに沿って洋館が建ち並び、また芝生や松並木が植えられている様子が見てとれる。
開港および造成からほぼ10年後の風景である。 |
1 → 地図拡大画像 画像は昭和初期の神戸港周辺の地図である。右端のオレンジ・カラーの部分がかつての外国人居留地の区画である。 [拡大画像: x27192.jpg][出典: 旧神戸移住センター] → 辞典内関連サイト
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