一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
米国人E.S.モース博士と縄文時代のタイムカプセル「大森貝塚」
3 4 米国人の動物学者エドワード・シルヴェスター・モース博士(Dr. Edward Sylvester Morse)が、1877年(明治10年)6月、横浜から新橋 に向かう車窓から大森貝塚を発見した。同博士はそこで土器、石器、人骨など多数の資料を発掘した。後にその成果を「大森貝塚発掘調査報告書 Shell Mounds of Omori」として刊行した。その発掘と刊行は、その後における日本の考古学・人類学の学術的発展に大きく貢献した。 また、日本の先史文化に関する知見を海外へ広めることにつながった。
[画像撮影: 2017.1.11 東京都内・JR東海道本線大森駅、品川区立大森貝塚遺跡庭園、および品川区立品川歴史館にて]
1. JR東海道本線大森駅のプラットホームに建つ、E.S.モース博士大森貝塚発掘百周年記念として建立された「日本考古学発祥の地」の石碑。 |
1 1. 大森貝塚遺跡庭園のパネルに展示される「大森貝塚に人が住んでいた時期(縄文後晩期)と現在の海岸線」の図。(最左下)大森貝塚の 位置。[出典: 品川区立大森貝塚遺跡庭園] [拡大画像: x28220.jpg]
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5 (1) 「品川区立大森貝塚遺跡庭園 Omori Shell Mounds Garden」: 縄文時代には庭園のある付近が海岸線であった。園内には実際に 貝塚が発見された地点がある。また、園内には「大森貝塚の碑(Omori Shell Mounds Monument)」(品川区側)が建立されている。 1877年(明治10年)に博士が貝塚を発見したことを記念して建立されたものである。現在は品川区によって庭園として整備公開されている。 国指定史跡。 (2) また、JR大森駅近くには「大森貝墟碑」(大田区側) が建立されている。国指定史跡。 現在、上記の通り2つの記念碑がある。両方とも大森貝塚の分布する範囲であるが、いずれがモース博士の発掘地かをめぐって論争があった。 調査の結果、品川区の「大森貝塚の碑」付近であったことが判明した。大森貝塚は品川区大井6丁目から大田区にかけてあったが、 現在は品川区側に残っている。 大森貝塚は、モース博士が日本で初めて科学的学術調査を行い、その発掘調査報告書が作成された貝塚であったことから「日本考古学の発祥の 地」と言われる。縄文時代後期から晩期の貝塚遺跡(今から約2,500~3,000年前)で、当時の海岸線、人々の暮らしなどが明らかにされた。 遺跡出土品は品川歴史館にて展示される。
大森貝塚からの出土品:
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