一枚の特選フォト「海 & 船」
昭和30年代頃の佃島渡船寸景
1
2
3
1. 撮影年月日: 2018年6月27日 2. 撮影場所: 東京都中央区の佃島渡船発着場跡とその界隈にて 3. 画像1: 佃島渡船の旧発着場のすぐ傍で、現在でも佃煮元祖の看板を掲げて営業する老舗の「天安」。その店内に飾られる渡船風景 写真である。正確な年代は不詳とのことであったが、昭和30年代から40年代の頃かと推察される。 発着場のすぐ後ろに「佃天安」の看板が見える。 画像2&3: 中央区教育委員会によって湊側に建てられた佃島渡船場跡(所在地 中央区湊3丁目18番、佃1丁目11番4号)を案内する ボード (複数) に掲示される写真である。それらのボードには大よそ次のように記される。
明治9年 (1876年) には、渡し銭一人5厘の掲示札の下付を願い出て許可されたことから「5厘の渡し」と呼ばれた。大正15年 (1926年) に 東京市の運営に移ってからは定期的に運航されるようになり、翌昭和2年 (1927年) 以降は有料の手漕ぎ渡船から無料の曳船渡船となり ました。同年渡船場の諸施設が整ったこと、手こぎ渡船が廃止されたことを記念して、佃1丁目と湊3丁目にそれぞれ「佃島渡船」の 石碑が建てられた。 昭和30年 (1955年) 7月には一日70往復にもなった、また、翌昭和31年 (1956年) には一日平均60往復、16,000人もの利用者があったが、 昭和39年 (1964年) 月の佃大橋の完成によって、300年の歴史をもつこの佃島渡船は廃止された。 渡船の歴史を記念する史跡として中央区民文化財に登録されている。
1. [拡大画像: x28268.jpg][拡大画像: x28269.jpg] |
12 1. 隅田川をはさんで、渡船場跡が2か所ある。左岸が佃側、右岸が湊側である。 2. 佃側の渡船場跡前に佃煮元祖の看板を掲げて現在も営業する老舗の「天安」。
34 |