一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
ブラジル第一回移民船「
ブラジルサンパウロ州の港湾都市サントスにある「サントス港博物館」
(Museu do Porto de Santos) に展示されている「笠戸丸」の写真 ブラジルへの日本人移民史においては「笠戸丸」(かさとまる、Kasato Maru)は特別の意味をもつ。その神戸出港はブラジル移民史 の里程標ゼロ地点であった。それからすでに100年以上の年月が流れた。 かつてブラジルは深刻な労働者不足であった、その当時のブラジルのサンパウロ州政府と「皇国殖民会社」(社長:水野龍、後に 「移民の父」と称えられる)との間で移民受入に関し契約が締結された。 同会社はその契約に基づいて日本全国から移民希望者 を募った。最終的に781人が第一回契約移民として皇国殖民会社と契約した。うち325人が沖縄県出身者であった。 1908年(明治41年)4月28日、781人の移民が東洋汽船(株)の「笠戸丸」で神戸港を出港した。この最初の移民船 「笠戸丸」はシンガポール、南アフリカを経由して、同年6月18日朝にサントス港第14埠頭に接岸した。移民者たちは下船後、鉄道で サンパウロへ移動、契約労働者としてコーヒー園などへと向かった。その後の移住生活は苦難の連続となった。
* 「笠戸丸」の要目: 6,167総トン、5,630積載重量トン、旅客定員 639人、平均速力約10ノット。明治時代後期から
昭和初期にかけて、外国航路や内台航路(当時)に従事した。
[縮小画像(z3167.jpg)][拡大画像(x3100.jpg)][拡大画像(x3101.jpg): 「笠戸丸」説明書き]
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