海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 奈良・平城京歴史館・遣唐使船Kentoushi Ship, Heijoukyou historical pavillion, Nara

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト⌈海&船⌋目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ


遣唐使船 (4b)/帆柱&網代帆

「網代帆」(あじろほ)と題する説明パネルには次のように記されている。
「「吉備大臣入唐絵詞」には帆が描かれていませんが、他の絵巻物では遣唐使船には 網代帆を描いています。網代帆は竹や葦を薄く削った物を平らに編んで作った網代 を竹で縛って繋ぎ合わせた帆です。 網代帆は堅い帆ですから意外に性能が良いのですが、風が編目から抜けるのと重いのが欠点です。中国では19世紀頃まで長い間使われ 続けました。布の帆は風を受けると袋のようになりますので、布製が普及しても中国では帆に竹を結びつけて帆が袋のようになるのを 防いでいました。 日本では網代帆を使わず藁 わら を編んだ筵 むしろ を継ぎ合わせた帆を使いましたが、遣唐使船や江戸時代の朱印船 などの絵画では網代帆で描かれています。」

[2010.09.18 平城京歴史館/遣唐使船(復原)にて][拡大画像: x22746.jpg]






1
2
34

1&2. 遣唐使船全景。二本の帆柱をもつ。右側が船首 [下記の「参考 1」を参照]。 [拡大画像: x22747.jpg][拡大画像: x22748.jpg]
3. 甲板風景。右手前の屋形は「雑居部屋」(下記の「参考 2」を参照)、帆柱の後方に「賄い部屋」、さらにその後方には「遣唐大使の部屋」 が配置されている。 [拡大画像: x22758.jpg]
4. 「雑居部屋」(下記の「参考 2」を参照)と帆柱 (後檣)。 [拡大画像: x22759.jpg]

[参考 1] 「遣唐使船の構造」と題する説明パネルには次のように記されている。

「奈良時代の日本国内で使用していたと考えられる、丸木舟に板を継ぎ足した「準構造船」(じゅんこうぞうせん)では、とても100人 を越える人を乗せて東シナ海を横断する数十日の航海ができるような大型の船は造れなかったと思います。
また細長い丸木船では、大きな帆を上げて走ると転覆の危険があります。
遣唐使船は、おそらく厚い外板の内側に仕切り板のような補強材か、左右の外板をつなぐ梁(はり)を入れた「構造船」 (こうぞうせん)だったと考えています。
百済船(くだらせん)を使用したような記録がありますから、遣唐使派遣のために百済船を建造したのでしよう。 百済船はそのような「構造船」だったのではないかと思います。」

[参考 2] 「雑居部屋」と題する説明パネルには次のように記されている。

「現代の船旅では個室に寝泊りしていますが、18世紀頃には個室をもっていたのは船長くらいで、それ以外はお客さん でも大部屋で雑居でした。今でもフェリーには料金の安い大部屋でゴロ寝の客室があります。
遣唐使船の時代には、もちろんほとんどの人は甲板の下の積荷の間などで寝ていたのでしよう。
甲板の下に棚を吊って寝るようにしていたかもしれません。甲板の下には屋形の中に空けた穴からの光だけで薄暗かった でしよう。留学生や留学僧といった人達は航海中は何もする事がありません。昼間は屋形の床に空けた明り取りの穴の周りに 座り込み、木の実などをかじりながら議論していたのではないかと想像してしまいます。」

関連サイト: 世界の海洋博物館-日本


1  「遣唐使船/平安時代」
(展示:広島県因島の因島水軍城に所在する広島県因島市史料館-海の歴史民族資料展)[2010.09.20][拡大画像: x22754.jpg]

2   「7世紀の遣唐使船」
(展示:同上の因島水軍城に所在する水軍資料館/船の史料館)[2010.09.20][拡大画像: x22755.jpg]

3   遣唐使船の模型
(展示:名古屋海洋博物館)[2010.09.21][拡大画像: x22753.jpg]

辞典内関連サイト: 世界の海洋博物館-日本


Back to: Top Page | 特選フォト⌈海&船⌋目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ