一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
「いろは丸」沈没&海底発掘調査
慶応3年(1867年)、坂本龍馬および海援隊士が乗り込み操船していた「いろは丸」と紀州藩船の「明光丸」とが
衝突し、曳航途上にあった鞆の浦南方の宇治島沖にて沈没した。龍馬らは鞆の浦に上陸し、明光丸の紀州藩士との談判を
4日間行った。談判所の一つは福禅寺の本堂に隣接する客殿「対潮楼」(たいちょうろう)であった。談判は決着を見ず、
その後長崎に移して談判が続けられた。
「いろは丸展示館」では、海底から引き揚げられた船具(ビレイピン、滑車など)や陶器類などの陳列、衝突原因を解説する
パネルの展示、海底での沈没・調査状況を再現するジオラマなどがなされている。また二階には、龍馬が潜伏した宿の隠れ
部屋も再現されている。
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