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坂本龍馬・海援隊士らによる「亀山社中」(かめやましゃちゅう)が活躍し始めた頃の長崎は、諸外国への窓口、
国際的な貿易都市へと大きく変貌していた。
坂本龍馬は、慶応元年閏5月頃に日本初のカンパニー「亀山社中」を長崎にて結成した。
他方、勝海舟は江戸幕府に海軍塾の設立を建議し、当時は全くの寒村であった神戸村に開設した。勝海舟の門下生となり、
後に塾頭に任命された龍馬は海軍塾の運営に奮闘した。門下生には紀州藩脱藩浪士の陸奥宗光(陽之助)もいた。その海軍塾は
わずか1年ほどで閉鎖されてしまった(現在、神戸市中央区新港町、京橋交差点そばに海軍操練所跡の碑が建つ)。
龍馬が勝海舟に従って長崎の地を初めて訪れたのは元治元年(1864年)2月であった(龍馬が暗殺される3年ほど前のことである)。
長崎はすでに開港され5年目にあたる時代でであった。画像が示すように、その当時には長崎の港には多くの帆船のほか、
黒い煙突をもつ蒸気船も多く入港していることが分かる。長崎はすでに国際的な貿易都市へと大きく変貌を遂げていた。
[2010.09.いろは丸展示館にて][拡大画像: x22918.jpg]
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