海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 幕末維新当時の長崎港Nagasaki Port at the end of Edo Period & around the Meiji Revolution, いろは丸展示館, 福山・鞆の浦Tomonoura, Fukuyama

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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    坂本龍馬が生きた幕末維新当時の長崎の港風景
    A View of Nagasaki Port at the end of Edo Period and
    around the Meiji Revolution when Ryoma Sakamoto lived

    坂本龍馬・海援隊士らによる「亀山社中」(かめやましゃちゅう)が活躍し始めた頃の長崎は、諸外国への窓口、 国際的な貿易都市へと大きく変貌していた。

    坂本龍馬は、慶応元年閏5月頃に日本初のカンパニー「亀山社中」を長崎にて結成した。 他方、勝海舟は江戸幕府に海軍塾の設立を建議し、当時は全くの寒村であった神戸村に開設した。勝海舟の門下生となり、 後に塾頭に任命された龍馬は海軍塾の運営に奮闘した。門下生には紀州藩脱藩浪士の陸奥宗光(陽之助)もいた。その海軍塾は わずか1年ほどで閉鎖されてしまった(現在、神戸市中央区新港町、京橋交差点そばに海軍操練所跡の碑が建つ)。

    龍馬が勝海舟に従って長崎の地を初めて訪れたのは元治元年(1864年)2月であった(龍馬が暗殺される3年ほど前のことである)。 長崎はすでに開港され5年目にあたる時代でであった。画像が示すように、その当時には長崎の港には多くの帆船のほか、 黒い煙突をもつ蒸気船も多く入港していることが分かる。長崎はすでに国際的な貿易都市へと大きく変貌を遂げていた。
    [2010.09.いろは丸展示館にて][拡大画像: x22918.jpg]

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    1. 龍馬のポスター。龍馬がその右手を懐にしたこの有名な写真は、日本で初めての商業写真家として著名な上野彦馬(ひこま) の撮影局(長崎・中島川河畔にあった)にて、龍馬が数えで32歳の慶応2年(1966年)に撮影されたと考えられている (出典: 「ジパング倶楽部」、2010年6月号、9頁、交通新聞社発行)。 [拡大画像: x22919.jpg]
    2. 画像上の古い家は龍馬の生家。「あるときは才谷梅太郎…本名・坂本竜馬 竜馬の生家は才谷屋という商家だった。偽名 ・才谷梅太郎はここからきている。咲イタニ梅タロウ…なのである。」と記されている。 [拡大画像: x22920.jpg]
    3. 「当時の長崎港」と記されている。以上、画像1-3は「いろは丸展示館」所蔵。 [拡大画像: x22921.jpg]
    4. 「いろは丸展示館」入り口に立てられた海援隊旗。赤・白・赤の横縞の旗である。 [拡大画像: x22991.jpg]

    辞典内関連サイト
    ・ 世界の海洋博物館
    ・ 日本の海洋博物館

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