一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
ニカラグア湖とマナグア湖をつなぐティピタパ川の渡し船
中米ニカラグアの首都マナグア (Managua) の近傍には大小二つの湖、すなわちマナグア湖 (Lago de Managua, Lago Xolotlán) と
ニカラグア湖 (Lago de Nicaragua, Lago Cocibolca) がある。
首都マナグアはマナグア湖に面する。その湖畔には富士山のような円錐形をしたモモトンボ火山 (Volcán Momotombo) がそびえる。
ニカラグア湖は琵琶湖の13倍ほどの面積をもつ大きな湖である。その湖畔にはコロニアル様式の古都グラナダ (Granada) がある。
このグラナダが建設されたのは1524年で、コロンブスが1492年に第一回航海にて西インド諸島に到達してからわずか30年ほど後のことである。
建設したのは、新大陸に植民しその支配途上にあったスペイン人で、当時パナマ市において警備隊長を務めていたフランシスコ・フェルナンデス
(あるいはエルナンデスともいわれる)・デ・コルドバ(Francisco Fernández de Córdoba)である (彼はニカラグアのもう一つの古都
レオンをも建設した。彼はそのレオンで1526年に殺害された)。 ニカラグア湖はサン・ファン川 (Río San Juan) をもってカリブ海に通じている (ニカラグア湖水が流出する唯一の河川は、 その流出口が湖の南東端にあるサン・ファン川である)*。 スペイン植民地時代の後半以降、多くのヨーロッパ人が大西洋(カリブ海)側からサン・ファン川を遡り、ニカラグア湖をたどってこの グラナダまでやって来た。要するに、ヨーロッパから船で人・物をグラナダ港まで輸送できた。 パナマに地峡を横断する鉄道も運河もなかった時代には、この水上ルートは大変貴重なものであった。ニカラグア湖の北西端に 建設されたグラナダは、内陸の奥深くにありながら「大西洋岸に立地する港」と考えられたのである。マナグア、グラナダ、 レオンが立地する太平洋側地域には、カリブ海側地域に見られるジャングル地帯 というか熱帯性密林地帯もなく、また高い山脈もなく (カラソ台地や平野部があるのみ)、さほどの自然上の障害はないので、 グラナダから太平洋沿岸に出るには困難はなかった。だが、太平洋岸での自然の良好な入り江はグラナダから160km以上離れた コリント(Corinto)くらいであった。
ニカラグア湖とマナグア湖を結んでいる川がある。その名をティピタパ川 (Tipitapa) という。グラナダ市街からニカラグア湖
沿いに北方向へ(すなわち湖を時計回り方向に)車を走らせると、小一時間ほどでその川に行き着く。そこでは橋が架かっておらず、
車も人も渡し船にお世話になって渡河する。
両岸に二本のワイヤを張り渡し、ポンツーンと結ばれている。ポンツーンにはエンジンが据え付けられ、それを動力にしてワイヤ
を引き寄せて一方の岸から他方へと移動させる。ニカラグアではこんな風景はめずらしくも何ともない。自然に溶け込む
のどかな風景である。それはニカラグアの原風景そのものである。 * 日本でいえば、琵琶湖の南西端から流れ出る瀬田川である。瀬田川は宇治川となり、淀川となって瀬戸内海・大阪湾へと注ぎ込む。 ニカラグア湖と同じように琵琶湖にもいくつもの河川が流入するが、自然に流れ出るのは瀬田川のみである。 |
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