海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, ネルソン提督フィギュアヘッド figurehead of Admiral Horatio Nelson, オーストラリア国立海洋博物館 Australian National Maritime Museum, オーストラリアAustralia

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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英国ホレイショ・ネルソン提督の船首飾り像 (フィギュアヘッド)

ホレイショ・ネルソン(1758-1805)
最初の子爵(viscount)にして、英国海軍副提督 (Vice Admiral)/海軍中将。
12歳の時に英国王立海軍に入隊し、その後は勲功をして誉れ高き海軍歴を経た。ネルソンは「忠誠心」と「勇気」を鼓舞(こぶ) するとともに、海戦における彼の戦術は非オーソドックス (非正統的あるいは異端的) なものではあったが、成功を収めたがゆえに その結果をして彼の名を高めることとなった。
1794年のフランスとの戦いでは右目の視力を失い、1797年のスペインとの戦いでは右腕を失いながらも、勲功を得た。ここに ネルソンの誉れ高き勇姿を見ることができる。ネルソンは今もって英国海軍における英雄的資質や行為とはいかなるものであるかを 示すシンボルである。
ネルソンは、トラファルガーの戦いにおいて、フランス・スペイン連合軍による英国への侵略の脅威を打ち砕いて、自身の 偉大な勝利を迎えようとしていた、そのようなさ中においてこの世を去った。
ネルソンは、後世において常に語り継がれることになる、価値、規律、海軍戦略に関する伝説的な基準を打ち立てた。 それらは現在でも英国王立海軍において、また英国式にて 組織化されてきたオーストラリアのような国の海軍においても、重要な伝統として息づいている。

HMVSネルソンのフィギュアヘッド(船首飾り像)
ネルソン提督 (Admiral Lord Nelson) のこの巨大なフィギュアヘッドは英国の木造軍艦「HMSネルソン号」のものである。 1814年7月4日、英国の Woolwich Dockyard の King's Yard において建造され進水した。ネルソン号は、 ビクトリア王朝時代にあった英国の直轄植民地の海軍艦船として1868年から1891年までの間就役したもので、Phillip Bay港で よく観かけられた。同号は1898年シドニーのバイヤーに売却され、そのフィギュアヘッドはニューサウスウェールズの 海軍分隊 (NSW Naval Brigade) に供与され、Rushcutters 湾に臨む分隊の閲兵式典会場に設置された。 フィギュアヘッドはその後オーストラリア王立海軍へ移管され、ビクトリアにある HMAS Cerberus Training 施設へと送られた。 1988年国立海洋博物館へ提供され、細部にわたる保存処置が施された。その古い塗料はおそらくネルソン号の建造当時のものである。
[2011.04.04-12 オーストラリア海洋博物館にて][拡大画像: x23578.jpg]

フィギュアヘッドの説明パネルには以下の通り記されている (その要旨は上述の通りである)。

    Horatio Nelson (1758-1805)
    First Viscount, British Vice Admiral
    Nelson joined the Royal Navy when he was 12 and had a distinguished naval career. He inspired loyalty and courage and was renowned for his unorthodox - but successful - battle tactics. He was also well known for his open affair with the married lady Emma Hamilton.

    The celebrated figure of Nelson, the sight of his right eye lost in battle in 1794 against the French and one arm lost in 1797 against the Spanish, is still a symbol of naval heroism. He died in the hour of his greatest triumph, having smashed the threat of French and Spanish invasion of England at the Battle of Trafalgar. 

    Nelson set legendary standards for valour, discipline and naval strategy. These remain important traditions in the Royal Navy and in those navies, like Australia's, which were formed in the British mould.
    * [拡大画像: x23581.jpg: 英文説明書き(Horatio Nelson; 1758-1805)]

    Figurehead from HMVS Nelson
    A long and proud history
    This giant figurehead of Admiral Lord Nelson came from the British wooden battleship HMS Nelson. The ship was built and launched at the King's Yard in Woolwich Dockyard, England on 4 July 1814.

    Nelson was a familiar sight on Port Phillip Bay between 1868 and 1891 when it served in the Victorian colonial navy. The ship was sold to a Sydney buyer in 1898 and the figurehead was presented to the NSW Naval Brigade. It was placed in the Brigade's parade grounds at Rushcutters bay.

    The figurehead was later transferred to the Royal Australian Navy and sent to its HMAS Cerberus Training establishment in Victoria. The figurehead was given to the National Maritime Museum in 1988 and underwent extensive treatment. The old paint probably dates back to when the ship was built.
    * [拡大画像: x23580.jpg: 英文説明書き(Figurehead from HMVS Nelson)]


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1. [拡大画像: x23585.jpg]
2. トラファルガーの海戦における勝利の年から200周年(1805-2005年)を記念する、ネルソン肖像画入りの飾り皿。  [拡大画像: x24359.jpg]
3. オーストラリア海軍にまつわる展示品コーナーに飾られた「ネルソン提督像」。 [拡大画像: x23586.jpg]
4. [拡大画像: x23579.jpg]


辞典内関連サイト
・ 世界の海洋博物館
・ 海洋博物館-オーストラリア
・ オーストラリア国立海洋博物館・訪問記 [2012.04.04-12]
・ 一枚の特選フォト「海 & 船」: イギリス海軍提督ホレイショ・ネルソン、若かりし頃エル・ カスティージョの要塞を攻め落とす [「ニカラグア運河の夢」、エル・カスティージョの博物館資料より/中米ニカラグア]



ネルソン略史
    1777年、海軍海尉昇進試験に合格する。
    1778年12月8日、ブリグ艦バジャーの海尉艦長として初めて指揮艦をえる。

    1779年6月11日、28門砲艦のヒンチンブルックの艦長となる。

      [参考] ネルソンは21歳になるかならないかのうちに「大佐艦長」の地位をえた。海尉から艦長に昇進する時は、 スループ、カッターなどの小艦艇の指揮官に任命される。そこで経験を積んだ後に20砲門以上のフリゲート艦の指揮を任される 「大佐艦長(post captain)」となる。
      当時には大佐、中佐、少佐の区分はなく、20砲門以上の艦を指揮する資格のある「大佐艦長」とそれ以外の「艦長」とに 区分されていただけである。[出典: 「ネルソン提督伝[上]、231ページ]
    1784年、最先任艦長として小アンティル諸島の鎮守府に赴任する。
    1793年、フランス革命の勃発により戦列艦アガメムノンの艦長となり、地中海方面に展開する。
    1794年、コルシカ島陸上戦でのコルヴィ攻略において右目の視力を失う。

    1797年、サン・ビセンテ岬の海戦に参加する。同年、カナリア諸島テネリフェ島の攻略に失敗する。戦闘で右腕を負傷し切断する。
    1798年、地中海分遣艦隊を率いて、フランスのツーロンにて、エジプト遠征を企てるナポレオンのフランス艦隊に対する封鎖任務にあたる。
    1801年、青色艦隊中将に昇進する。子爵に叙せられる。

    1803年、地中海艦隊司令官に任命される。
    1804年、白色艦隊中将に任命される。
    1805年、トラファルガー岬沖でフランス・スペイン連合艦隊に挑み、これを撃破する。戦闘さ中において狙撃され戦死する。


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