海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 遣唐使船、富山県高岡市万葉歴史館Kentoushi-sen, Takaoka Man-yo Historical Museum, Takaoka, Toyama-ken

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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遣唐使船 (模型その 1)

「万葉集」と、万葉の時代を探究するために設立された「高岡市万葉歴史館 Takaoka Man-yo Historical Museum」 (富山県高岡市)。 その企画展示室に遣唐使船の模型が展示されている。その説明パネルは次のように記している。
    「基本的な構造・様式は当時の中国船を模倣したものである。

      接続部の補強のため、船体の数カ所に隔壁が設けられている。そのため小部屋がいくつか作り出され、その出入りのために 甲板上のところどころに艙口が開いている。船首は船具の倉庫、船尾は乗組員室、中央部建物は祈願台などにあてられ、船倉は 遣唐使やその一行の居所や食料倉庫となった。

      帆の材料は竹や葉である。籠目文様に割竹を編んで、その文様の隙間には笹葉などをはさんだ。外枠を竹で縁どり、長方形の 網代帆とした。そうしてできた帆を横長におき、8枚・10枚と紐でつづって、帆柱から吊りさげる。吊った紐を緩めれば、 甲板上に帆をおろすことができる。追い風をうければ帆をあげて進めたが、それ以外の多くの場合は漕ぎ手 (水手・かこ) が両舷の櫓棚 に出て漕いでいた。

      櫓棚の下の丸く長い竹には救急用などさまざまな用途が考えられるが、ふだんは浮力を増すものであった。なお舵の後方につき出した 棹は、方向の微調整などに用いる補助用の舵である。」

所在地:〒933‐0116富山県高岡市伏木一宮1-11-11. JR氷見線「伏木」駅下車、徒歩20分ほど。
[2012.07.11 高岡市万葉歴史館にて][拡大画像: x24686.jpg][拡大画像: x24754.jpg: 周辺地図 1][拡大画像: x24755.jpg: 周辺地図 2]

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1. 遣唐使船の構造概略図。帆は網代帆と記されている。船尾には見張り台が、両舷には櫓棚が設けられ、その棚下には竹の束が 括り付けられている。  [拡大画像: x24687.jpg][拡大画像: x24688.jpg: 説明書き]
2. 船首最上部に碇(いかり)を上げ下げする轆轤(ろくろ)が見える。左舷に7本の櫓が見えるが、片舷全部でその倍数くらいの櫓 でもって漕げるようだ。 [拡大画像: x24690.jpg]
3. 船尾楼の上には見張り台がある。船尾から斜め後方に突き出した棹が見える。棹は、船の方向の微調整などに用いられる補助用の舵である。  [拡大画像: x24691.jpg]
4. [拡大画像: x24692.jpg]

5 5. [拡大画像: x24693.jpg]
画像の人物は、「万葉集」の代表的な歌人であり、また編者ともされる大伴家持(おおとものやかもち)(養老2・西暦718年~ 延暦4・西暦785年)である。
  若い頃「天皇のそばに仕える雑用係」の内舎人(うどねり)として聖武天皇に仕えていた大伴は、西暦746年(天平18)に、29歳にして、 越中(現在の富山県と石川県能登半島)の守(かみ) (いわゆる国守・こくしゅ/現在の県知事のような役職) に任じられ、奈良の都から 越中に「転勤」し、当地にて5年間勤め上げた。 当時の越中国の国府(こくふ・現在の県庁)は現在の富山県高岡市伏木(ふしき)におかれていた。西暦751年、少納言となり、越中 から都へ戻った。
  家持によって越中赴任期間中に詠まれた歌は、「万葉集」全巻の収載歌約4,500首のうち、220余首である。家持の部下らの歌を あわせると、越中で詠まれた歌は、「万葉集」において330余首も残されている。越中は、家持を通じて、「万葉集」の日本有数 の故地 (こち; ゆかりの地) となっている。

[続く→ 遣唐使船 (模型その 2)]


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