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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    港市マラッカ/マラッカ海峡を臨む

    マレーシアの港市マラッカは、マレー語で「Melaka」(ムラカ)、英語で「Malacca」(マラッカ)である。 マレー半島西海岸の南部に位置する。太平洋とインド洋とを繫ぐ、アジア大陸東南周縁部の東西海上交通の要衝である マラッカ・シンガポール海峡に面する。

    画像: 眼下にマラッカ旧市街地が全面に広がる。その向こうにはマラッカ海峡が横たわる。画像の左側中央部にこんもりとした 森が見える (鉄塔周辺部)。その辺りが「セントポールの丘 (St. Paul Hill)」 で、鉄塔のすぐ左後方にセント・ポール教会 (St. Paul's Church/カトリック) が建つ。 セント・ポール教会は、ポルトガルの支配 (1511年~1641年) 下にあった1521年にポルトガル人によって建てられた教会である。 今ではその礼拝堂の壁跡だけが残される。

    跡地の脇には、日本にも布教に来たイエズス会の聖フランシス・ザビエル (St.Francis Xavier) の像が建ち、マラッカ海峡を見下ろす。 セント・ポール教会はザビエルの遺体が安置された所でもある。カトリックに反発するオランダ、イギリスの軍・民の度重なる攻撃で 破壊され、教会は廃墟と化した。

    [2011.06.23-25. マレーシア・マラッカにて][拡大画像: x24910.jpg]



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    1. 古いマレー半島・マラッカ周辺の地図。公設観光案内パネルより。 [拡大画像: x24911.jpg]

    2. 「オランダ広場 (Dutch Square)」の画像。マラッカの観光の中心・起点である。
    右側の館は「スタダイス (Stadthuys)」。 オランダ語で「政庁舎」の意味である。 1650年前後にオランダ総督の公邸として建設された。スタダイスは東アジアに残る唯一のオランダ東インド会社 (VOC; Dutch East India Company) ゆかりの建築物である。(同社の本拠地はインドネシアの現ジャカルタのバタビア商館であったが、現在はない)。

    内部は「歴史民族博物館 (History and Ethnography Museum)」として公開されている。マラッカ王国時代から、 ポルトガル、オランダ、イギリス3か国の植民地時代 (430余年におよぶ)、および日本の統治時代を経て、現在までの 歴史を展示する。中央には時計台がある。その後ろには1753年に建設された「キリスト教会/クライスト・チャーチ (Christ Church)」がある。オランダ製のレンガが用いられたオランダ建築様式の、プロテスタントの教会である。
    [拡大画像: x24912.jpg]

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    3. 「Fortaleza de Malaca」(Fortalezaはポルトガル語で「砦、要塞、城塞、城砦」の意)、「Map of Melaka City, 1666 」(1666年のマラッカ市地図) と記されている。地図には城塞内の洋館建て街並みが整然と描かれている。 マラッカ市観光ポスター "Histric City of Malacca"より。 [拡大画像: x24913.jpg][拡大画像(x24914.jpg): 観光ポスター]

    4. 「1660: The Port of Malacca」(1660年マラッカ港)。スタダイスのすぐ近くのマラッカ川沿いにて部分的に復元された城塞脇に 立てられた公設観光案内パネルより。 [拡大画像: x24915.jpg]



    マラッカ関連略史

    マラッカの歴史は大きく7つの時代に区分される: ① 15世紀から1511年までのマレーのイスラム教君主 (サルタン、スルタン) 国の時代、 ② 1511年~1641年のポルトガル植民地時代、 ③ 1641年~1795年のオランダ植民地時代、④ 1795年~1941年の英国地植民時代、⑤ 1941年~1945年の日本占領統治時代、⑥ 1945年~ 1957年の英国植民地時代、⑦ 1957年から現在までのマレーシア独立の時代。




      * 1292-1295年、マルコ・ポーロは1292年に中国・泉州を船出し、マラッカ・シンガポール海峡を経て、スマトラ島北部の ペルラクに約5ヶ月間滞在した。その後、1295年イタリアに帰国する。マルコ・ポーロが東方の旅に出立したのは1271年のことである。

      * 1396年頃、在スマトラ島パレンバンのスリヴィジャヤ王国のパラメスワラ王子がマレー半島マラッカの地においてマラッカ王国を 建国する

        パラメスワラは、スマトラ島のパレンバンを統治していたシュリヴィジャヤ王国の内乱に乗じて、スマトラ島を支配していた マジャパヒト王国からの独立を企てたが、失敗する。そのため、トゥマセ(現在のシンガポール)に逃れ、その後さらにマラッカに逃れ、 その地でマラッカ王国を建国する。 マラッカ王国は、建国された1400年頃以降から、1511年にポルトガルによって武力制圧されるまで、東西貿易の重要中継地として 繁栄を極めた。インドからの綿織物、中国からの陶磁器や絹織物、マルク諸島の香辛料などが取引された。インド洋と南シナ海の中間にあり、 季節風(モンスーン)が半年ごとに向きを変えることから、東西海上交易における風待ち港でもあった。この頃の海上交易船は、 100トン程のジャンクと呼ばれる小型船が主流であり、モンスーンを利用した沿岸航法を採っていた。 マラッカに出入りしていた船の数は、毎年大船約100隻、小船約30~40隻といわれる。 なお、マラッカは1414年頃にイスラム化したとされる。

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      辞典内関連サイト
      ・ 世界の海洋博物館
      ・ マレーシアの海洋博物館

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