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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    ドラゴンボート競漕モニュメント [兵庫県相生市]

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    兵庫県相生市はペーロンの町としても有名である。画像は、相生湾の最奥部海岸沿いに所在する「相生ボート公園」 (国道250号線・はりまシーサイドロード沿い)の一角に設営された、ペーロンに興ずるモニュメントである。

    中国での「ペーロンの起源」について触れたい。
    ・ 中国の春秋戦国時代の「楚」の国の政治家・詩人であった「屈原」(紀元前340年頃~同278年頃)の 悲劇から、ペーロンの起源は始まる。屈原は「李白」よりもさらに1,000年ほど前の詩人である。そして李白はその屈原を尊敬して 止まず、師と仰いでいた。

    屈原は隣国の「秦」の「張儀」の謀略を見抜き、秦の危険性を「懐王」に説いたが聞き入れられず。やがて楚は秦に攻め込まれ首都 が陥落した。屈原はそれを聞いて楚の将来に絶望し、石を抱いて「泪羅江」(べきらこう/現・長沙の北方)という川に入水自殺した。 付近の人々は彼を救い出そうと先を競って川へ船を漕ぎ出したという。そんな故事がペーロンの由来となったといわれる。

    泪羅江の流域にはドラゴンボートの工房が集中している。スピードが出るボートを造作することも大事だが、もっと大事なのはボート の船首を飾る龍の頭を端正に作ることであるという。龍頭は漢民族を象徴するとされる。

    屈原の悲劇から生まれたのがドラゴンボート(龍船)といわれ、その発生の地が洞庭湖に注ぎ出る泪羅江の畔が屈原の悲劇の 舞台となったことが今に伝えられる。長崎のペーロン、沖縄のハーリーもそのような起源からの流れを汲んでいる。

    李白がかつて仕えた「玄宗」はかつて唐を繁栄に導いたが、玄宗は李白が長安にいた頃から楊貴妃にのめりこみ、政治を疎かに した。結局、反乱を招き国を滅亡の縁に立たせた。李白は屈原の運命を自分のそれに重ねて感じていたのかもしれない。

    「ペーロンの起源」の出典: NHKテレビ特別番組「空旅中国・李白長江をゆく」(2022年1月18日放映)。

    辞典内関連サイト: ドラゴンボートの展示館を探訪して [相生ペーロン海館]

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    画面左上の赤色側壁をもつ建物が「相生ペーロン海館」である。同館の漕艇庫には幾つものドラゴンボートや櫂・太鼓などの漕艇 関連用具が保管されている。

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    屈原(前340年?~前278年?)の肖像画。「相生ペーロン海館」の資料展示室内に陳列される「発祥の動機(出来事)…生活想像図」と題する資料より。

    [撮影年月日:2024.06.05&06/場所: 兵庫県相生市の「相生ボート公園」(国道250号線・はりまシーサイドロード沿い)]


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