海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 中国明代・鄭和の南海大遠征&宝船, 鄭和文化館Cheng Ho Cultural Museum, Muzium Budaya Cheng Ho, マラッカMalacca, マレーシアMalaysia

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

Back to: Top Page | 特選フォト⌈海&船⌋目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ


中国明代・鄭和の南海大航海 (3)/飾り皿に描かれる鄭和&宝船

[前ページ「(2)-鄭和の「宝船」模型」からの続き]

明の時代に、鄭和は、第1~6回の遠征では第3代皇帝・永楽帝の命を受け、また第7回のそれでは次代の皇帝・宣徳帝の命を受け、 1405~1433年の間に計7回にわたり、大型木造艦船60隻余りの大船隊を率いて、南海への大遠征を指揮した。 船隊は東南アジア、インド、アラビア半島、さらにはアフリカ東岸まで航海し、最遠地としては現在のケニアのマリンディまで到達した。 遠征で用いられた船隊主力船は通称「宝船」(ほうせん)と呼ばれ、全長120m以上で、その最大の船は全長150m・幅62mもあったといわれる。

第1回航海
1405年7月11日出立する。船隊は62隻、総乗組員は2万7,800名余り。蘇州-チャンパ(ベトナム)-パレンバン(スマトラ)-マラッカ- セイロンの航路をたどる。
1407年初めにカリカットへ到達、1407年9月に帰国する。

第2回航海
1407年末に出立し、航路はほぼ同じであった。タイ、ジャワなどを経由してカリカットへ。1409年夏に帰国する。

第3回航海
1409年末に出立し、ほぼ同じ航路でカリカットへ到達する。1411年7月に帰国する。
このように、第1回から3回までは、南シナ海、マラッカ海峡、インド洋を経てインドのカリカットへ到達した。

第4回航海
1413年冬に出立する。カリカットまでこれまでとほぼ同じ航路をたどり、その後ペルシャ湾のホルムズ、さらにアラビア半島のアデンに到達する。 1415年7月に帰国する。

第5回航海
1417年冬に出立する。本隊は第4回と同じくアデンまで到達するが、その後分遣隊はアフリカ東岸のマリンディまで到達したとされる。 1419年に帰国する。ライオン、シマウマ、ヒョウなどの珍しい動物を連れ帰った。

第6回航海
1421年2月に出立する。中国に朝貢に来た外国使節を送り帰すのが主な目的であった。1422年8月に帰国する。

第7回航海
永楽帝の死後、その孫の宣徳帝の命を受けて、1431年12月に出立し、1433年7月に帰国する。この遠征時に分隊はメッカにまで到達した。 鄭和は、帰国後ほどなくして1434年に死去したとされる。

[「(4)/鄭和の胸像」へ続く][2011.06.23-25 マレイシア、マラッカ「鄭和文化館」にて] [拡大画像: x23812.jpg]
* 鄭和の南海大遠征の第1回~第7回の航海略史などについては次ページを参照願います。

1 2 3
1. 「マラッカ海洋博物館」(Maritime Museum, Muzium Maritim)に展示される鄭和の絵。 [拡大画像: x23943.jpg] [拡大画像: x23944.jpg: 説明書き (その内容は次ページの通り)]
2. マラッカ市内中心街の「トゥカン・ベシ通り(Jalan Tukang Besi)」。この通りの数100m先のT字路を右に折れたところに「鄭和文化館」 がある。有名なイスラム寺院「カンポン・クリン・モスク(Kampong Kling Mosque)」は画像の中華風門のすぐ右側角に位置する、 また1646年に建てられたマレーシア国内で最古の中国寺院「青雲寺 (チェン・フーン・テン Cheng Hoon Teng Temple) は逆方向へ100mほど のところに建つ。 [拡大画像: x23945.jpg]
3. 「鄭和文化館」入り口ホールに据えられた提督・鄭和の胸像。 [拡大画像: x23946.jpg]

辞典内関連サイト
・ 世界の海洋博物館
・ マレーシアの海洋博物館
・ シンガポールの海洋博物館


Back to: Top Page | 特選フォト⌈海&船⌋目次 (Ocean and Ship Photos) | ご覧のページ