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    第9章 三つの部署(農業・契約・職員課)で経験値を高める
    第3節 契約課でパナマ運河代替案調査に関わる


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     第9章・目次
      第1節: 農業投融資と向き合う(その一)/中国での大豆栽培試験
      第2節: 農業投融資と向き合う(その二)/5ヶ国での栽培試験
      第3節: 契約課でパナマ運河代替案調査に関わる
      第4節: 職員課のどの仕事も喜ばれる
      第5節: 英語版「海洋白書/年報」と「海洋語彙集」づくりに前のめる



  農業投融資事業部門から離れて調達部契約課へと異動したのは、1989年5月であった。そして、1991年1月に始まった国連決議に基づく 多国籍軍による対イラク湾岸戦争をはさんで、契約課にほぼ3年間在籍した。大学法学部、大学院修士課程法学研究科、米国ロースクール 大学院など、足掛け8年間も法学系の教育過程に身をおいてきた。私的には、法学系に偏った歩みをしてきたのではないかと思うほど であった。とはいえ、人事部が私の教育履歴を見れば、在職中一度は契約課へ配属させることも至極当然の判断と言えた。 早晩の成り行きとして、契約課への異動か、若しくは総務部の「法務室」への異動が時間の問題と言えたが、まずは前者への配属が回って来た。 契約課を「卒業」できたのは3年後の1993年3月であった。

  前部署での投融資関連業務の場合と同じく、海洋や水産の専門的領域から遠ざかるばかりであったが、意気消沈することはなかった。 海のことについては、これまで通り二足のわらじを履いて私的かつ自主独立的な調査研究に励み、また海の語彙拾いやその入力作業による 語彙集づくりを続けることに変わりはなかった。帰宅すれば、IBMのデスクトップ・パソコンを前にして、一日10分でも20分でも語彙を入力したり修正したり、また語彙を調べたり しながら、海との関わりを喜々としてもち続けていた。毎日のわずかな自由時間を見い出して海のことに繋がるだけでも、雑念や ストレスをそれなりに払拭できた。それに、日本の海洋法制・政策や海洋開発動向を扱う、自身では英語版「海洋白書/年報」の類と位置づける 研究書を、非営利・任意団体の「海洋法研究所」の名の下に、自主発刊に漕ぎ着けようとなおも取り組んでいた。同研究書づくりは、その副産物として 多くの語彙を拾い上げることにも、また語彙集の一歩前進にも繋がった。

  さて、時を少し遡ることになるが、アルゼンチンからの帰国直前と直後において、JICAでは立て続けにスキャンダラスな汚職事件が起こった。 最初の事件は、何と私が帰国後に籍を置くことになっていた「 農林水産計画調査部」の「農林水産技術調査課(農技課)」(何故か農業投融資 事業の海外調査も同課が所掌していた)の課長代理が、収賄容疑で新宿警察署に逮捕された。二つ目の事件は、帰国後同課に配属となって 暫くして、調達部のコンサルタント選定システムを管理する総元締め的な立場にあった管理課の課長代理が、同じく収賄容疑で逮捕された。 かくして、JICAはその創設以来初めてとなる前代未聞のスキャンダラスな贈収賄事件に見舞われ、特に各種の海外調査を請け負う コンサルタントの選定業務の担当部署である契約課も、その社会的注目を浴びことになった。

  マスコミ報道によると、前者の事件では、アフリカの某国での農業「開発調査」案件に関連して、同農技課長代理が率いる現地事情 調査団に某コンサルタントを同行させたようである。同調査は案件実施の妥当性や調査方針・内容などを決める重要なプロセルの 一部である。同課長代理は、現地調査情報について同コンサルタントに便宜を図り、その結果後刻の応札時においてプロポーザル作成 上非常に有利となるような取り計らいを行なったというものである。要は、特定の社と癒着して、プロポーザルの技術的審査において 高い評点を得られるよう便宜を図り、その見返りに金銭を受け取ったという訳である。結局、入札での公正な競争を完全に阻害するに 至った。

  後者の事件では、JICAの海外調査業務への入札参加資格をもつ登録コンサルタントのうち限られた社を集めて、いわば私的なセミナーを開き、応札時に提出が 求められる技術プロポーザルの書き方やその評価基準などを指南したという。金銭を授受して、一部のコンサルタントだけに有利に働くこと になる業務上のノウハウなどの内部情報を指南した訳である。JICA職員は「みなし公務員」と位置づけられ、「国家公務員法」が準用 され刑法上の収賄罪などが適用されることになっている。

  二つの事件でいずれの課長代理も罪状を認め、一審で有罪判決が確定した。この事件で、JICAが政府開発援助(ODA)の 重要な一構成要素である海外調査業務そのものと、それを請け負うコンサルタントの選定業務に関し、世間の厳しい視線が注がれること になった。そして、JICAはコンサルタント選定システムの管理や運用面での見直しを図ると共に、不正の再発防止策を徹底する ことなどが求められた。かくして、同船底システムと業務の改革や再発防止強化の途上にあった時期に契約課に異動することになった。 私的には、改めて気を引き締め契約課に異動し、コンサルタント選定および調査業務の契約の執行に神妙な面持ちで向き合うことになった。

  さて、海との関わりをほとんど期待できなかった契約課であったが、意外なところで海との繋がりに出会ったことに大いに驚かされ 喜んだことは言う間でもなかった。そのことに触れる前に、契約課の業務をもう少しだけ概観したい。

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話は少しそれるが、 JICAが途上国に対して行う技術協力プロジェクトは、一般的には、政府・地方自治体や 公益法人専門職員、国公立大学などの研究者・教育者、時に民間企業技術者らが、個別単独で、または技協プロジェクトの専門家グループの 一員として派遣された。派遣手当はその殆どが所属先補てんという形態であった。赴任中の給与をJICAが補填するというのが基本思想であった。 だが、無償資金協力における基本設計調査や各種の開発調査については、民間コンサルタントに直接人件費と間接諸経費、いわゆるコンサルタント フィーを支払うという方式であった。

  他方、JICA職員は技協プロジェクトの運営管理のジェネラリストとしての実務を担うのが基本と考えられていた。 当時、職員は大学などで特定の専攻分野の知識などに長けていても、ジェネラル・マネジメントを担うことが期待されるようであった。 職員は専門的能力を高め活かすというよりは、スペシャリストを縦横に束ね、プロジェクトの成果を発現するためのジェネラリストとしての役目が 期待され、まことしやかに語られた時代でもあった。いずれにせよ、各専門分野の人的資源は、公務員であれ民間コンサルタントであれ、 外部から調達するというのが基本的立ち位置であり、それが実体であった。私的にはこのジェネラリスト・スペシャリストの二大役割分担に違和感をもち、 専門性を捨て去ることなく、ジェネラリストとスペシャリストの二刀流を目指したかったことは既に述べた通りである。

  だが、時は流れ、ずっと後になって、JICAはいつしかそれは如何なものかと自問自答することになった。高度な専門性を有し、 技協プロジェクトのリーダー格として海外でも活躍できるJICA自前の人材をリクルートし育成し確保すべきとの方針が打ち立てられ制度化された。 彼らは事実上、今日でいう特任参事的な身分でもって、5年ごとの雇用契約の更新で雇用された。それが「国際協力専門員」という制度であった。 とはいえ、同専門員は技協プロジェクトを担う人材であって、基本設計調査や開発調査などを一括して担う人材では全くなかった。それら の調査の大部分は、組織外の専門的人的資源、即ち民間コンサルタントによって担い支えられていた。 もっとも、技協プロジェクトに従事する人材でさえも、昨今ではかつての役務提供型の技術指導専門家に 成り代わって、民間コンサルタントが請負型(いわばジョブ方式)で活躍する時代へと変遷している。

  いずれにせよ多岐にわたる分野の開発調査などで、専門的ノウハウをもって事に当たるのは、ほぼ100%民間コンサルタントが担っており、 JICA自前の国際協力専門員がそれに取って代わることは質量的に到底不可能であった。

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  JICAのコンサルタント選定システムの基礎にあるのは、JICAの海外調査ビジネスに従事し貢献したいと欲するコンサルタントが、 調達部管理課を窓口にして行なう個人または法人としての登録である。従事可能な調査分野、組織概要、自己資本金、経営責任者、最近 の財務状況、過去10年の類似の調査実績や年間売上、分野ごとの従事可能な専門人材の人数や そのうちの有資格技術者(技術士、測量士など)の人数、国内外での分野別事業実績とその主要業務内容などにつき 事細かく登録する。当時でさえJICAの調査業務に関心をもつ500社以上のコンサルタント企業が登録されていた。 契約課担当者は、通称「原課」と称される調査担当部署からのコンサルタント選定依頼に基づき、具体的案件ごとに、調査の分野、内容、 規模などに鑑み、登録された母集団の中からから絞り込み(スクリーニング)するための諸条件を設定し、それを満たす コンサルタントを数社から10数社ほど選定することになる。

  選定の諸条件とは、例えば調査対象分野、調査予算額に見合ったコンサルタントの保有すべき資本金、当該調査に必要とされる 有資格技術者の人数、あるいはその従事可能人数、国内および世界での調査実績数、アジアやアフリカなどの調査対象地域あるいは 対象国での類似調査実績などである。 そして、シュミレーションを繰り返しながら絞り込み、ベストなロングリストを作成するのが契約課の神髄となる業務である。 ロングリストの社数が多過ぎれば、「ハードル」の高さ、すなわちパラメーターを調整しながら幾度かシュミレーションを繰り返す。 7~8の条件をクリアする10社程度に候補社を絞り込み、最後に書面で応札への関心表明をJICAに予め提出している社か否かをもってショートリストを作成する。単独一社では競争が成立せず、 適度な複数社であれば問題はない。なお、選定の評価基準としてより重みのある項目は「当該国での過去の類似調査業務の 実績と内容」であることは誰にでも容易に想像がつく。

  コンサルタントに求める調査団員数がわずか数名ほどの簡易な調査であれば、「役務提供契約」というタイプの契約に基づき、調査業務が委託される。 その場合はコンサルタント選定委員会は委員長以下3名によって開催された。その他7~8名の 技術者が従事する大規模調査では「業務実施契約」という請負方式の契約となった。この場合は委員長以下7名からなる選定委員会に諮り、 社の絞り込みの条件やショートリストなど全てが適正であるかを審査する。審査が了となれば、内部決裁を経た後、それらの社に対し 技術プロポーザルと見積書の提出を正式に依頼することになる。

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  契約課の中核的な第一の任務は、そのコンサルタントの選定にある。調査を実施したい「原課」と称される調査担当課は、調査概要、 調査従事者の分野や従事期間などを記した調査計画書やコンサルへの業務指示書など一式を契約課に回付する。 それに基づき、コンサル選定手続きに着手する。契約課は、コンサルタントを選定し、契約を締結し、それらの調査の成果品の合格を受け、 経費を支払うなどの実務を担うことになる。契約課は原課と協働し、それらの調査契約の実施を促進し、履行が完遂されるのを見届ける。 不可抗力の事案が発生すれば、契約変更の手続きなどをに担う。

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  選定システムは当時からデジタル化されており、また外部システムとは何の繋がりもない独立した選定システムとなっていた。 調達部管理課では、コンサルタント登録の定期的更新、選定システムの制度設計の向上を絶えず真剣に取り組んでいた。 選定システムはその制度設計のみならず、その適正・公正な運用、特に競争性が担保されることが根幹をなしている。 海外調査を請け負うコンサルタントをリクルートするための選定システムの中でも、日本国内ではトップレベルにある優れもののシステム といえよう。

  さて、所定期間後に提出される技術プロポーザルは、先の選定委員に配布され慎重に審査される。 各委員はプロポーザルと真剣に向き合い、所定の評価基準に基づいて評価する。調査に従事予定の 人材の語学能力や類似調査の地域・国別実績、会社のそれらの実績、調査手法やプロセスの妥当性、技術者の配置計画・業務内容・従事月数 などの妥当性、本社による支援体制、調査関連情報量など、さまざまな基準をもって採点される。委員は評価点数表をもちより 第二回目の選定委員会が開かれる。評点発表に先立ち事前に議論しクリアーにしておくべき事項が特になければ、評点が順次発表され記録される。

  技術評点が一定の範囲内で複数社が接近する場合は、見積書を開封し、見積り額の開きに応じて所定の点数が加算される場合もある。 それらの総合評点に基づき、JICAとの契約交渉順位が決せられることになる。内部決裁を経て順位が正式に決定された後、原課と契約課の担当者らが、 先ず第一位の社と契約交渉を行なう。調査内容や手法その他の事項の確認がなされ、かつ見積もられている調査所要経費の根拠やその 妥当性を巡り協議が行なわれる。両者が合意に至れば、担当者は契約書案を作成しその決裁を経た上で、契約書を取り交わすことに なる。万が一交渉が成立しない場合には第二位の社との交渉となる。

  さて、調査が開始されると、契約課と原課はタイアップしながら、契約の適正・円滑な履行がなされるようモリタリングに務める。 調査途上において発生するさまざまな事態に適格に対処し、時に必要な契約変更をも行なう。 調査完了後は、成果品としての「調査報告書」が提出され審査される。契約金の支払いは、契約締結時点での初回支払い、何度かの中間 払いがなされ、成果品の承認後に契約金額が最終的に精算される。契約課がその神髄とするもう一つは、特にテロ事件・戦争・自然災害などの 不可抗力の発生に伴い、契約担当者は調査担当者と二人三脚で協働しながら契約上の「不可抗力条項」の適用などと真剣に向き合う。

  その代表的事例が在職中に発生した。衝撃的であったのは1990年8月に、イラクのフセイン政権軍は電撃的にクウェート領土へ侵攻し、 併合してしまった。国連憲章第42条に基づき、翌年1月米国を中心とした多国籍軍がイラク軍を攻撃し短期間のうちにクウェートを奪還した。 この戦争のため、周辺諸国のヨルダン、トルコ、シリア、エジプトなどで実施されていた多くの調査プロジェクトについて、言質滞在の調査団員 は現地調査を中断し安全国に退避し、「不可抗力条項」を適用してその契約不履行をサスペンドしたりした。また、関連状況に応じて 原課からのコンサルタント選定申請の保留、コンサルタント選定委員会の開催延期や契約交渉の保留、コンサルタントの現地乗り 込みの中断など、その実務的対応に追われた。

  1989年5月からの契約課での3年間にコンサルタント選定を求められた調査案件は大小1,000件を下らないが、そのなかには 漁港施設の建設、漁業訓練船の建造、波浪による海岸浸食防止のための護岸建設など、海洋や水産と関連する案件も多くあった。中でも 最も関心を惹起することになったのは、1989~90年に契約課で取り組んだ「パナマ運河代替案調査」であった。当時、パナマ運河の 通航上の限界は予見される将来確実にやって来ると予測されていた。同代替案調査は、その克服のためにはいかなる具体的選択肢があるかを 深掘りするものであった。在職中、当該代替案調査を請け負うコンサルタントを選定する国際的業務の一端に関わる機会に恵まれた。 正に歴史的土木事業の「起点」あるいは「始点」となる調査に関われた。パナマ運河について深い関心を寄せるまたとない機会を得ることになり 大きな喜びとなった。

  1990年当時のパナマ運河では、毎年12,000隻ほどの船舶が通航していた。世界の船舶はそのスケールメリットの 観点から、年々巨大船化する傾向にあった。米国は1977年にパナマ政府と「新パナマ運河条約」を締結して、パナマに運河を返還すること を約束していた。そして、実際に、珍しいことに米国博物館その約束を反故にしないで、期限通りの1999年末に返還した。 パナマ運河はアメリカから返還されるとしても、パナマにとっては、その返還後の予見しうる将来において、その通航量の限界ひいては 国庫歳入の限界にいずれ直面せざるをえないという悩みを抱えていた。通航期待量(通航を求める船舶需要量)が増加する一方で、 船舶の巨大船化が求められることは避けられなかった。

  現行運河には通航可能船舶のサイズに決定的な制約があった。運河の閘門にある閘室(チャンバー)の大きさの制約上から、長さ294.13メートル 超、幅32.3メートル超の船は通航できなかった。また、「熱帯淡水満載吃水線」は、12.04メートルを超えることができなかった。 この限界ぎりぎりの最大船は「パナマックス船」と呼ばれた。そして、この限界を超える船は「ポストパナマックス船」と呼ばれ、 南米大陸最南端のホーン岬を迂回せざるを得なかった。閘室の大きさに起因する制約の他に、ガツン湖内の航路帯の水深、運河通航の所要 時間(1日当たりの通航可能隻数に関わる)、閘門のオペレーションに必要な使用可能水量などに制約があった。増大する将来需要に対応する ためには、閘門の閘室についての物理的限界を克服すること、さらに航路帯の深水化や拡幅化などを図る必要があった。

  パナマ・米国・日本政府は、1985年9月に「日米パナマ三ヶ国パナマ運河代替調査委員会」という国際組織を設立した。 そして、その最初の調査として、将来の通航量増大と通航船舶の巨船化を見据え、それに対応するため、パナマ運河に対するいかなる 代替策がありうるのか、その実現可能なあらゆる案を提案させ、かつ技術・コスト・環境などのさまざまな観点から比較考量を行なう 本格的な代替案調査を協力して取り組むことに合意した。三カ国はその調査の進め方と分担につき協議した結果、当該調査を請け負う コンサルタントを選定するために必要な国際入札図書一式の作成については、日本政府が分担することとなった。そして、JICAがその業務を引き受けることになった。

  担当部署の「開発調査部社会調査課」は、業務発注主(施主)である同委員会の指導・監督の下、調査コンサルタントにいかなる内容の調査 を発注し請け負わせるかを詳細に検討し、施主が国際入札に先だって明らかにすべき調査内容や範囲などすべてを記した「調査業務指示書」 を作成する必要があった。同指示書の内容としては、具体的な調査内容とその範囲、調査のための前提条件、調査を担う技術者の 分野・人数・従事期間などをしっかり吟味・計画し、それらを書面にする必要があった。さらに、国際入札に供するための入札関連図書一式の作成が求められた。 一式には、当該指示書に加えて、コンサルタントの入札参加資格、応札社から提出される技術プロポーザルの評価基準表、 コンサルタントとの国際契約書案など、全て英語とスペイン語版を作成し、日米パナマ三ヶ国調査委員会に提出することになった。

  同委員会に提出された書類一式を基に国際入札に付された結果、米国のマッキンゼーや日本の日本工営など幾つかのコンサル タントが選定された。そして1990年9月から1993年9月にかけて、本格的に調査が進められた。 そして、1993年になって運河代替案を取りまとめた報告書が委員会に提出された。 代替運河として幾つかの案が検討され、比較考量された。

  パナマと同じく中米地峡にあるニカラグア国に新運河を建設する案、 パナマ国内の別地域に新しい運河を開削する案、現行の運河閘門に平行して新規の閘門を建設する案(運河閘門の拡張案)など、さまざまに 検討された。新閘門の建設に加え、関連工事として、ガトゥン湖内の航路帯の深水化のための浚渫、それ以外の航路帯の拡幅や浚渫、 水量確保のためのダムの建設なども検討された。そして、それらの技術、コスト、環境的な比較考量が重ねられた。 かくして、報告書が提案した代替案としては、2レーン(往復通航)の閘門が現行閘門と平行する形で新規の閘門を建設する案、および15万トン級の 船舶通航のための1レーンの第3閘門の建設案、さらに運河の航路帯の拡幅などが提案された。

  最終的にパナマ政府は、運河拡張案を国民投票に付し賛成多数を得た。その運河拡張計画の中核は、既存の閘門に平行して2レーン 方式のより大きい閘門を建設する案であった。各閘門には水資源の節約のために、9基からなる節水槽 (横3列×縦3列)を設ける 設計となっている。大西洋と太平洋岸にある現行閘門と新規拡張閘門での船舶通航オペレーションのたびに、人工湖のガトゥン湖の 貯水が消費されることになる。水資源の使用量を少しでも節約するために工夫された新規構造物がそれらの節水槽である。 その他、現行運河航路帯の拡張・浚渫などが計画案に含まれている。その後、運河拡張工事業者を決めるための国際入札を経て、 工事はいよいよ2007年に着工され、9年を費やして2016年6月にようやく完成を見た。

  拡張運河の最大限界ぎりぎりのコンテナ船は「ネオ・パナマックス船」と呼ばれる。新閘門を通航可能な船舶の上限は、 全長366メートル、幅49メートル、喫水15.2メートルである。 かくして、閘門の長さは304.8メートルから366メートルへ、幅は33.5メートルから49メートルへ、水深は12.8メートルから15.2メートルへと拡張された。 また、新しい運河閘室は、コンテナ船について言えば、20フィート・コンテナ積載換算で15,000個積載のコンテナ船を通航させることができる。 既存閘室ではコンテナ8,000個ほどの積載コンテナ船が通航の限界であった。

  新旧閘門の大きさと通航可能最大船舶の大きさの基本的比較データを改めて記しておきたい。

    * 「パナマックスサイズ」の船舶(既存の閘門を通航可能な最大の船)の大きさ: 長さ294.1m、幅32.3m、喫水12.04m。 なお、既存の閘室の大きさは、長さ304.8m、幅33.5m、深さ12.8m。
    * 「ネオパナマックスサイズ」の船舶(新閘門を通航可能な最大の船)の大きさ: 長さ366m、幅49m、喫水15.2m。 なお、新閘室の大きさは、長さ427m、幅55m、深さ18.3m。

  私がニカラグアに赴任したのは2007年7月であった。パナマ運河を一目見たいと、翌年1月の週末を利用して「弾丸ツアー的に」訪れた際に、 ある一光景を目にして感涙した。運河半日遊覧コースに乗船して、太平洋側の南北アメリカ大陸に架かる「アメリカズ橋」から「クレブラ カット」まで通航したが、太平洋側の最初の閘門である「ミラフローレス閘門」へのアクセス航路入り口付近の水域に、掘削用小型リグらしきタワー が設置され、海底地質調査などが準備されているようであった。また、拡張工事の準備のためか、クレブラ・カット付近などのあちらこちら で掘削の下準備がなされている状況にあった。

  かくして、契約課では、年間何百件もの調査プロジェクトのコンサルタント選定のためのショートリスト作成、選定委員会の開催、 契約交渉と締結、その精算という実務を行った。まるで「契約マシーン」のようでもあった。その他の業務としては、執行中の 事件事故などに伴う契約変更への対応であった。そんな中で、パナマ運河の歴史的拡張工事の始点となった「パナマ運河代替案調査」に わずかでも携わり、海との繋がりをもてたことは大きな喜びであった。

  契約課当時まだパナマ運河をこの目で見たことはなかった。パナマ運河経由の南米航路などに就航していた「あるぜんちな丸」などの 船乗りとなって、いつしかリオ・デ・ジャネイロ、サントスやブエノス・アイレスで錨を降ろしたいという青少年時代の夢は遥か昔に消え 去っていたが、その頃からこの目で運河を一度は見てみたいとずっと願っていた。図らずも、ニカラグアに赴任して運河訪問 の機会がやってきたのは、既に役職定年となり契約ベースでニカラグアに赴任していた2008年1月の時であった。 契約課での関わりから20年近く経ていた。

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* その時の写真など。新閘門写真。拡張運河の様子/ミラフローレス閘門(ジオラマ模型)[長榮海事博物館]。小林氏のパナマ運河の本。 日本大使館HP。大統領・国民投票:いつ、その内容。   因みに、ネパールで通信施設建設の無償資金協力プロジェクト実施中、まだ相手国に引き渡されていない建設途上の遠方山岳地にある 通信施設と機器が「マオイスト武装集グループ」によるテロの襲撃を受け、大損害を被る事件が起こり、危険もあり建設を 中断した。工事関係者は避難を余儀なくされ、工事は中断した。契約上、当該部分の履行義務は不可抗力として免責される。 契約変更交渉を行い、破壊された当該建設・機器の経費は契約金額から除外する契約が結ばれた。また日本の協力資金から除外された。 将来治安情勢が安定し、工事の再開が可能となれば、日本政府は契約除外された部分につき、追加の無償資金協力に関する口上書が交換され、 予算的手当ての上、同コンサル・工事業者と特命随意契約をもって実施されることになる。破壊された施設・機器の予備費から 追加支援される。??

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