一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
江戸幕府の軍艦奉行・勝海舟の像
・ 勝海舟(通称・麟太郎、名は義邦、後に安房、安芳)は、文政6年(1823年)1月30日に、
江戸本所亀沢町の男谷邸 (今の両国四丁目) に生まれた。 ・ 1860年(万延元年、38歳)2月、江戸幕府の遣米使節団の護衛艦としての咸臨丸(かんりんまる)に乗船して品川沖を出航し、アメリカに 向かう。幕末期におけるこの軍艦には福沢諭吉、ジョン万次郎(中浜万次郎)らも乗船した。 ・ 1862年(文久2年、40歳)、軍艦操練所頭取となる。その後、同年に軍艦奉行並になる。 この頃、坂本龍馬ほか9名が海舟の門下生となった。 ・ 1864年(元治元年、42歳)、軍艦奉行となる。なお、同年には「神戸海軍操練所」設置が布達されている。 この「勝海舟之像」は東京・墨田区役所の前に建つ(区役所は、東武伊勢崎線が発着する「浅草駅」の前を通り、隅田川に 架かる吾妻橋を渡ったすぐのところにある)。 [2010.04][拡大画像: x22127.jpg]
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2. 「勝海舟翁之像」。顎鬚をはやす壮年期の海舟。「海舟9歳の時大怪我した際妙見大士の御利生により九死に一生を
得その後立身出世の大願成就した由来、、、」をもつ能勢妙見堂(別院)の境内に建立された海舟の胸像。 3. 江戸東京博物館では坂本龍馬特別展が開催され(2010年4-6月)、龍馬の唯一残された写真が展示された。 勝海舟は、1862年(文久2年、40歳の時)、軍艦操練所頭取となり、その後同年に軍艦奉行並になったが、この頃坂本龍馬ほか 9名が海舟の門下生となった。 [拡大画像: x22261.jpg]
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