解説パネルには次のように記されている。
「朝鮮通信使は、徳川将軍が対等の格式で迎えた唯一の外交使節
である。朝鮮使節の往来は、室町前期にさかのぼるが、江戸時代には1607年
(慶長12年)から1811年(文化8年)に至るまで、12回の使節が派遣された (初期の
3回は「回答兼刷還使(かいとうけんさっかんし)という」)。使節は300~500
人もの規模で構成され、対馬(つしま)藩の家臣がその警護にあたった。、、、、」
「淀川を遡る使節団を描いた屏風。中央に描かれている船は、
御楼船という幕府の船で、正使が乗っている。釜山港を出帆した使節団は、
対馬、瀬戸内海を経由して、大坂に着いた。吃水の深い朝鮮船では
淀川を遡れないため、淀川河口で幕府や西国大名の用意した船に乗り換え、京都まで
行き、そこから江戸まで陸路をとった。」
[2010.04][江戸東京博物館における展示][拡大画像: x22147.jpg]

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* 説明書き [拡大画像: x22148.jpg][拡大画像: x22149.jpg][拡大画像: x22150.jpg]
辞典内関連サイト: 世界の海洋博物館-日本
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