一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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慶長遣欧使節船サン・ファン・バウティスタのアイアン・アート

宮城県・石巻市の「まんごくはし」(万石橋)の欄干に施されたガレオン船「サン・ファン・バウティスタ」のアイアン・ アート。その下部には「ローマへ向かう支倉常長(1613~1615年)」と刻まれている。
JR石巻線の石巻駅から東へ5kmほどのところに、万石浦という奥行きの深い小さな入り江がある。浦はカキの養殖場として名高い。万石浦 から太平洋へは狭水道で通じている。万石橋はその狭水道上に架かる道路橋である。道路は県道2号線で、 石巻市の渡波地区から牡鹿半島のほぼ先端にある捕鯨の町・鮎川浜へと通じている。

* 鮎川浜:捕鯨業が盛んであったことから、「おしかホエールランド Oshika Whale Land」という鯨と捕鯨業をテーマにする 博物館がある。

    支倉常長・慶長遣欧使節とサン・ファン・バウティスタに関する略史(その1)→(その2)
    ・ 仙台藩主・伊達政宗は、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使に、家臣・支倉常長を副使にして、イスパニア (スペイン)の国王フェリペ3世のもとに外交使節団を派遣した(使節団は、スペインからさらに旅して、ローマ教皇パウルス 5世のいるバチカンへと赴いた)。その主目的は、仙台藩とメキシコとの交易許可をえるべく、スペインとの通商交渉を 行うことにあったと言われる。

    ・ 徳川家康の許可をえて政宗が建造したサン・ファン・バウティスタ(ガレオン船)をもって、支倉・ソテロら総勢180 余人は、1613年10月28日(慶長18年9月15日)に、牡鹿半島の月の浦(現在の宮城県石巻市)を、イスパニアの植民地ヌエバ・エスパーニャ (現在のメキシコ)のアカプルコに向けて出帆した。

    ・ 約3か月後の1614年1月28日、アカプルコに入港した。その後陸路でメキシコシティを経由して大西洋岸の港町ベラク ルスへ。6月10日、イスパニア艦サン・ホセで、ベラクルス地先に浮かぶ要塞島サン・ファン・デ・ウルア(San Juan de Ula)からイスパニアに向けて船出した。

    ・ 使節団はキューバのハバナを経て、10月5日イスパニア南部のサンルーカル・デ・バラメダに上陸した(支倉らは日本人としては 初めて大西洋を横断した)。その後グアダキヴィル川を遡上し、セビリアに入城した。その後若干名をセビリアに残して11月25日 マドリッドに向かい、12月20日にはイスパニアの 首都マドリードに到着。常長らは翌年の1615年1月30日イスパニア国王フェリペ3世に謁見した。

    ・ 1615年8月22日、使節団はマドリードを出発し、10月25日ローマに到着、かくして月の浦出帆後2年の歳月を経てローマの土を踏んだ。 10月29日(元和元年9月7日)には盛大なローマ入市式の挙行に臨んだ。 そして、11月3日には支倉・ソテロらはバチカン宮殿にてローマ教皇パウルス5世に謁見した。

    ・ 1616年1月7日使節団はローマを出発し、再びセビリアへ帰着した。1617年7月4日セビリアを出発し、ヌエバ・エスパーニャ (メキシコ)まで戻り、迎えのサン・ファン・バウティスタにて1618年4月2日にアカプルコを出港し、同年8月10日イスパニア の植民地フィリピンのマニラに到着した。

    ・ サン・ファン・バウティスタをマニラで売却した後、常長らは便船で1620年9月20日(元和6年8月24日)日本へ 帰国した。約7年におよぶ長い旅を成就したが、イスパニアとの通商交渉ではその使命は果たしえなかった。
    ・ 1622年8月7日(元和8年7月1日)、常長 死去。

参照資料
・ 宮城県・慶長遣欧使節船ミュージアム「サン・ファン・バウティスタ館」公式ホームページ& 「慶長遣欧使節関連年表」
・ インターネット百科事典Wikipedia、検索キーワード「サン・フアン・ バウティスタ号」
・ 「海の世界史」、中丸明・著、講談社(現代新書1480)、2004年発行、234-249ページ.
[2010.09.04][拡大画像: x23110.jpg]




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1.  万石橋の上から狭水道を見下ろす。その先には太平洋が広がる。左上に小高い山が見えるが、使節船ミュージアムは その山の背後に立地する。  [拡大画像: x23111.jpg]
2. 万石橋のたもとから見る狭水道風景。対岸には多くの小型漁船が停泊する。画像右手に万石橋が架かり万石浦へと 通じている。 [拡大画像: x23112.jpg]

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3. 橋の欄干のアイアン・フレームには慶長使節団のいろいろな歴史的場面が刻まれている。これは支倉が1615年にローマ 教皇に謁見する場面である。 [拡大画像: x23113.jpg]
4. 復元船サン・ファン・バウティスタとその周りに設けられた展示館を見下ろす。(2011年3月11日発生したマグニチュード 9.0の東日本大地震によって、復元船は一部損壊、展示館は壊滅的な損壊を被った)。  [拡大画像: x23114.jpg]

辞典内関連サイト
・ 世界の海洋博物館
・ 日本の海洋博物館
・ 慶長遣欧使節船ミュージアム&復元船サン・ファン・バウティスタ


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