一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
「ニカラグア運河の夢」、サン・ファン川ルートで出会った風景
~ ニカラグア湖 & サン・ファン川のほとりの町サン・カルロス ~
中米ニカラグアの首都マナグアから早朝発の民間定期便でサン・カルロス(San Carlos)へ向かう(2009年2月20日)。
単発のプロペラ機で、搭乗できる乗客数はせいぜい15、6人である。後部座席は取り払われ荷物積み込みスペースとなっている。 飛び立つとすぐ眼下にマナグア湖が見える。そして、まもなくニカラグア湖畔の古都グラナダ(Granada)上空にさしかかる。 その後はずっと小一時間ニカラグア湖の上空を飛行する。右側には、淡水湖に浮かぶ島としては世界最大といわれるオモテペ島 (Isla de Omotepe) が見える。その島にそびえる円錐形をした二つの火山を半時間ほど見ながら飛行する。 ニカラグアの気候は大きくは乾期と雨期の二期に分かれる。乾期は11月~翌年4月頃、雨期は5月~10月頃である。今は乾期の真っ最中であるが、 今日は雨模様である。滑走路は細かい砂利を敷き詰め固めたものである。サン・カルロスの上空を旋回しながら無事着陸。 まさにこの地はサン・ファン川の流出始点である。190kmほど下ればカリブ海にいたる。米国議会においてかつてこの川を利用した ニカラグア運河建設案が真剣に検討され、又そのための調査も行われた。しかし、1902年の米国議会において、ニカラグアではなく パナマの地に運河を建設することになる決定的な議決が行われた。それは事実上「ニカラグア運河の夢」を打ち砕くものであった。 パナマ地峡に両洋間横断鉄道も、また船舶運河もなかった時代、米国カリフォルニアでのゴールドラッシュ時代(1800年代中頃)をも含めて、 多くの欧米人が、また多くの奴隷がこのサン・ファン川を遡り、また下って新大陸を西へ東へと通過して行った。 その中には「トムソーヤーの冒険」を著した有名な小説家マーク・トゥエインもいた。 歴史をずっと遡れば、世界的に有名なイギリスの海賊ヘンリー・モーガンがこの川をボートで遡り、ニカラグア湖を漕いでさらに北上し、 当時繁栄を極めていたグラナダを襲撃し財宝を手にした。 マーク・トゥエインも、海賊ヘンリー・モーガンも、画像に見るサンファン川とニカラグア湖の交差点を通過したのはまぎれもない史実である。 後にイギリス海軍提督にまで登りつめたホレーショ・ネルソンも、そのお若かり頃サン・ファン川をエル・カスティージョまで遡り、 サン・ファン要塞を占拠した。彼もまたサン・ファン川にその足跡を残して行った。 [大航海時代以降のニカラグア運河略史] [次ページへ続く][2009.02.20-22 中米ニカラグア、サン・カルロス上空にて][拡大画像: x21232.jpg]
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