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ニカラグア運河の建設にまつわる過去数百年間の略史については、
「ニカラグア運河年表」を参照願います。
コロンブスによる「新大陸の発見」をへて、バルボアによるパナマ地峡横断と「南の海(太平洋)」の発見以来、
地峡を横断する水の路、すなわち運河の建設に関するいろいろなアイデアが何世紀にも渡って提示されて来た。
運河建設の有望なルートの主なものはかつて3つあった。パナマ地峡、サン・ファン川・ニカラグア湖のルート、最後にテウアンテッペック
(Tehuantepec)のルートである。
中米地峡横断運河は世界の通商路を支配する価値をもつものと考えられたので、欧米列強諸国はお互いの運河建設への野心に対して干渉し
合って来た。特に大英帝国と、それから独立した新興国家・米国との間における相互介入と牽制は際立つものであった
(→ 「ニカラグア運河年表を参照」)。最後には、米国はこの中米
ニカラグア・パナマ地域での支配権を優位なものとしつつ、パナマにおける運河建設を成就させた。
展示パネルの地図の表題には「ニカラグア運河」、そして下段には「ニカラグアの両洋間運河」と記される。だが、この運河ルート図
についての説明は何も記されていない。
運河ルートは、カリブ海側からサン・ファン川を遡り、ニカラグア湖へ。そして、湖を横断しオメテペ島 (Isla de Ometepe
ひょうたん形の島) 南方を経てラ・ビルヘン (La Virgen) にいたる。ラ・ビルヘンのすぐ北側で湖に流れ込むラス・ラッハス
(Las Lajas) 川を遡り、太平洋に流れ出るブリット川に取りつき太平洋に出るという、サン・ファン川~ニカラグア湖~
リーバス地峡ルートが示されている。
ラス・ラッハス川とブリット川との間には緩やかな山系 (それが分水嶺) が横たわるが、そこが開削されることになる。
そういったルートがこの図から読み取ることができる。
ニカラグア湖は海抜31-32mであるので、サン・ファン川においても、リーバス地峡においても、海面式で開削すればニカラグア湖の
水は海に流れ出て干し上がってしまう。故に、パナマ運河に見るガツン湖(人工湖)のように、ニカラグア湖を水の調整池・貯水池
とするのであれば、パナマ運河と同様に閘門式とせざるを得ない。
[2009.02.20-22.ニカラグア、エル・カスティージョの博物館蔵][拡大画像: x21412.jpg & z18174]
[拡大画像(x21413.jpg)][拡大画像(x21414.jpg)][拡大画像(x21415.jpg)][拡大画像(x21416.jpg)][拡大画像(x21417.jpg)]
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