一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
中米ニカラグア湖を行く蒸気船(1890年)
* 画像は、中米・ニカラグアにあるニカラグア湖を行く蒸気船「ヴィクトリア号」である。ニカラグア湖は琵琶湖の13倍ほどの
面積をもつ。写真右下に 「Vapor Victoria en el Gran Lago, Granada, Nicaragua」 と記されている (「ニカラグア湖での蒸気船
ヴィクトリア号、ニカラグアのグラナダにて」)。 グラナダはニカラグア湖北西端の湖畔にあって、今でもスペイン植民地時代の
面影が残るコロニアル様式の町である。
写真は、グラナダ市内の古い歴史をもつ「サンフランシスコ修道院」内の博物館に展示されていたものである。撮影年は1890年である。
キャプションには次のように記されている。
Convento San Francisco(サンフランシスコ修道院) Títula(題名): Vapor Victoria Fecha(年代): 1890 Medidas(大きさ): 8×10 cms Colecció(所蔵者): Dr. Humberto Arana M.
米国とニカラグアとの間で「ザバラ-フレリンギセン条約」が結ばれたのは1884年である。メノカル (Menocal) の「マリタイム運河会社」
に運河建設の事業・管理運営権(コンセッション)を付与するものであった。 メノカル (Menocal) が統括する技術者たちが、蒸気クレーンで (con grúas a vapor) で桟橋を 建設し、入り江を浚渫し、マチュカ (Machuca) の急流 (raudales) の区間を整備した。また、1600人の労働者を雇って、運河建設予定地と 平行して11kmにおよぶ鉄道 (vía ferrea) を建設し、サン・ファン・デル・ノルテとエル・カスティーヨ (エル・カスティージョ El Castillo) 間の電信電話線をも敷設した。 しかし、1893年には、米国での経済恐慌に連鎖して運河会社が財政危機に陥り必要な資金が続かず、 運河会社は倒産の憂き目にあい、この運河工事の試みは見捨てられてしまった。この時点での開削距離は800mに留まっていた。 現在でも、この運河開削の跡を見ることができる。100年以上経た現在では、両岸の自然はすでに 再生し元のジャングルに戻っている。運河入り口近くの潟(ラグーン) (サン・ファン・デル・ノルテ湾 Bahía San Juan del Norte の一部) には、当時の浚渫船が沈没したまま、その錆びついた船体を水面からさらけ出している姿を今でも見ることが出来る。
[雑記帳]
2. グラナダは、大西洋・カリブ海からサン・ファン川を遡りニカラグア湖へ、さらに湖を150kmほど横切って
内陸部の奥深いところに立地する「内陸港」として、スペイン植民地時代のいつの頃からか、その商業的繁栄を続けて来た。
3. グラナダの繁栄ぶりを知った英国人海賊ヘンリー・
モーガン (Captain Sir Henry Morgan) がグラナダを襲撃たのである。彼は、1655年の20歳過ぎの頃にはメキシコのカンペチェ湾、
ホンジュラス、ニカラグアなどの沿岸で海賊行為を働いていたが、原住民インディオから
ニカラグアのグラナダの繁栄ぶりを聞き及んでいた。1665年のこと、全長190kmのサン・ファン川を一週間かけて遡上し、ニカラグア湖を
5日間かけて北上し、グラナダを3日間にわたり金銀財宝の略奪を行った。その分捕り品として 50万ポンド貨 (libras esterlinas)
を略奪した。
カヌーで遡上したので嵩張る財宝は余り持ち帰れなかったが、本拠地としていたジャマイカに戻ったモーガンは一躍有名になった。 |
1![]() ![]() 1. 中央にニカラグア湖が、その左上隅に小さくマナグア湖がある。ニカラグア湖の右下端からサン・ファン川が大西洋・ カリブ海へと注ぐ。 [拡大画像: x23951.jpg] 2. 左上隅にマナグア湖、右下隅にニカラグア湖がある。首都マナグアは中央左端に、古都グラナダは右下方 (錨マーク) にある。 マナグアとグラナダの距離は60kmほどである。 [拡大画像: x23950.jpg] 3 ![]() ![]() [撮影:2009.02.20] 3. 首都マナグアから、ニカラグア湖南東端に位置するサン・カルロス(San Carlos)へ向かう途上において、ニカラグア湖畔の グラナダ上空を飛行する。 サン・カルロスは、ニカラグア湖から流れ出るサン・ファン川の流出始点に形成された町である。画像の小半島は「ラス・ イスレータス(Las Isletas)」と呼ばれ、その名の通り無数の小島によって縁取られている。「イスレータ」はスペイン語で小島の意味。 [拡大画像: x23959.jpg] 4. グラナダ市街は画像の中央部辺りでである。 [拡大画像: x23960.jpg] 5 ![]() ![]() [撮影2009.03.07; サン・フランシスコ修道院博物館展示] 5. グラナダの街の模型。街の発展・拡大のカラー・ゾーニング図示。左上隅のベージュカラー系のゾーンにパルケ・セントラル (中央公園・街の中心)がある。植民都市建設の開始時からそこを起点に発展して行った。 [拡大画像: x24119.jpg] 6. 中央に大聖堂・カテドラルが見える。その手前の緑部分がパルケ・セントラルである。画面上端にはニカラグア湖があり、 桟橋が突き出ている。グラナダの港は1600年代から桟橋一本の港であったのであろうか。 [拡大画像: x24120.jpg][拡大画像: x24122.jpg: ゾーニング凡例] 7 ![]() ![]() ![]() 7. サン・フランシスコ修道院。この左隣に博物館がある。 [撮影2009.03.07][拡大画像: x24118.jpg] 8. パルケ・セントラルそばに建つ大聖堂。 [撮影2009.03.07][拡大画像: x24123.jpg] 9. パルケ・セントラル&大聖堂。観光馬車に揺られてコロニア様式の街を散策するもよし。[2004.02撮影][拡大画像(x5888.jpg)] 10 ![]() ![]() ![]() 10-12 植民地時代の面影を残す街並み。 [撮影: 2004.02][拡大画像(x5881.jpg)][z5605.jpg&拡大画像(x5882.jpg)] [拡大画像(x5883.jpg)][拡大画像(x5884.jpg)] 13 ![]() ![]() 13. グラナダ港。乗船待合所・貨物取扱保管所でもあった港湾管理事務所 (Capitanía de Puerto) と細長く突き出た桟橋。 港といってもこの程度の施設しかない。現在でも、便数は少ないがここから湖にある町に定期船が就航する。 [撮影2004.02][z5625.jpg&拡大画像(x5902.jpg)] 14. 「Capitanía de Puerto」と記される、撮影1940年の写真。港湾施設は現在とほとんど変わっていない。撮影者は不詳。 サン・フランシスコ修道院での展示。 [撮影2009.03.07][拡大画像: x24121.jpg] 15 ![]() ![]() [撮影2004.02] 15. グラナダ港の施設。植民地時代のいつかの頃には、施設は砦と大砲とで防護されていたのであろうか。画像14の古い 写真(1940年代)では、砦・大砲はなさそうである。 [拡大画像(x5897.jpg)][z5619.jpg&拡大画像(x5898.jpg)] 16. [z5624.jpg&拡大画像(x5901.jpg)][拡大画像(x5895.jpg)][拡大画像(x5896.jpg)] 辞典内関連サイト ・ 世界の海洋博物館/中米・ニカラグア ・ ニカラグアの海と船のある風景 [2] [2007-2009] ・ 中米ニカラグア運河 ・ ニカラグア運河の旅: サン・ファン川、サン・カルロス~エル・カスティージョ [200902.20-22] ・ ニカラグア運河の旅: エル・カスティージョの博物館 |