一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
琵琶湖と京都を結ぶ運河・琵琶湖疏水&インクライン(1)
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琵琶湖疏水(びわこそすい)の⌈蹴上船溜(けあげふなだまり)⌋の風景。画像には、かつて水中に水平に据え付けられていた
数種の水中滑車が見える (当時直径3.2m、1.8m、1.2mの滑車が用いられた)。滑車はインクライン (傾斜鉄道、急勾配鉄道) の鋼索を180度
回転させるための支点となっていた。 1.[拡大画像: x24808.jpg]、2.[拡大画像: x24809.jpg] |
明治維新後の1869年 (明治2年) に都が京都から東京に移された。この東京遷都により、京都では人口が減少し活気を失っていた。
その活力を取り戻そうと、時の知事(第3代)・北垣国道によって建設が進められたのが、琵琶湖と京都を結ぶ運河⌈琵琶湖
疏水⌋(びわこそすい)である。
建設工事を任されたのは、現在でいう東京大学工学部の前身である東京工部大学工を卒業したばかりの青年技師・田邉朔郎である。
彼の大学卒業論文は琵琶湖疏水の工事に関わるものであった。 * * * * * * ① 1885年(明治18年)に始められた琵琶湖疏水の建設は、1890年(明治23年)に ①琵琶湖の取水口(大津)から京都市内を流れる鴨川の 合流地点までと、 ② 蹴上(けあげ)から分岐して北の方角に流れる⌈疏水分線⌋ (当該水路上にはかの有名な⌈水路閣⌋ (南禅寺境内) が、さらにその北には⌈哲学の道⌋がある) が完成した (いわゆる⌈琵琶湖第一疏水⌋の 完成である)*。 琵琶湖疏水取水口から京都の蹴上までの距離は約8.4kmで、いくつかのトンネルが刳り抜かれた。疏水の水は、舟運のみならず、 水車の動力源、灌漑・防火用水としても使われた。さらには日本初の事業用水力発電のエネルギー源にも用いられた。 電力によって工業振興がなされ、また日本初の電気鉄道が開通するなど、京都に活気を取り戻す源となった。
③ 蹴上には日本初の商業用水力発電所 (蹴上発電所) が1891年(明治24年)に建設・送電開始され、その電力がインクラインの動力源として 取り入れ、日本初の電気鉄道の電力に貢献した。当時としては革新的な技術導入であった。インクラインの運転当初は水車動力でドラム式 巻き上げ機を回転させて動かす仕組みであった。蹴上発電所の完成により電力を利用した電動機によって巻き上げ機を回転させ、 インクライン道軌道上の船架台車を上り下りさせた。 なお、1894年(明治27年)には、鴨川と疏水の合流地点から伏見にいたる⌈鴨川運河⌋が舟運などの目的で完成した。 ④ 開通時は客船、貨物船による利用が盛んであったが、鉄道輸送の発展などにより1930年代に衰退し、インクラインの運転は中止 されるにいたった。なお、電力需要の増大などにより、1912年(明治45年)に第二疏水が完成すると共に、夷川(えびすがわ)発電所、 伏見発電所が完成した。現在でもこれら三つの発電所が稼働している。
蹴上船溜に建つ案内板には⌈インクライン運転の仕組み⌋*と題して次のように記されている。
建設当初は、水車の動力でドラム(巻上機)を回転させ、ワイヤーロープを巻き上げて台車を上下させる 設計であったが、蹴上水力発電所の完成により電力使用に設計変更された。 ドラムは、最初は蹴上船溜にあったが、後に南禅寺船溜北側の建物に移転し改造された。台車を上下させる仕組みは 図のように直径3.6mのドラムを35馬力(25kw)の直流電動機で回転させ、直径約3㎝のワイヤーロープを巻き上げて 運転していた。蹴上船溜の水中部には直径3.2mの水中滑車(展示品)を水平に設置していた。また、レールは 当初イギリスから輸入され、軌道中心には直径約60㎝の縄受車を約9m間隔に設置し、ワイヤーロープが地面に 擦れるのを防ぎ円滑に巻き取れるようにしてあった。ちょうどケーブルカー(鋼索鉄道)のような仕組みで 2段変速できるようになっていて、片道の所要時間としては10~15分かかった。⌋
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[2012.05.26.琵琶湖疏水の蹴上船溜および南禅寺船溜+琵琶湖疏水記念館にて]
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