海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 傾斜鉄道・急勾配鉄道Incline, inclined railway of Lake Biwa Canal, 琵琶湖疏水記念館Lake Biwa Canal Museum of Kyoto,  Biwako Canal Museum, 京都Kyoto

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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    琵琶湖と京都を結ぶ運河・琵琶湖疏水&インクライン(2)




    [続き] 「「琵琶湖疏水&インクライン(1)」において、琵琶湖-京都間運河の開削の 経緯、運河の概要、革新的な技術導入、琵琶湖と鴨川との水位差を克服したインクライン (傾斜鉄道・急勾配鉄道) などにふれたが、 その(2)においては、インクラインについての説明をもう少し続ける。

    画像に写るのは、蹴上と南禅寺の両船溜のほぼ中間地に展示された船架台車と木造船である。この船(三十石船)は琵琶湖疏水で使用 されていた運輸船が復元されたものである。 当時は、鴨川と疏水との間の水位差36mを克服するために、船ごとインクラインの台車に載せこの坂を昇降させていた。 展示の傍に建つ案内板には、「インクライン (傾斜鉄道)」と題して次のように記されている。

      「大津から京都を結ぶ東海道の難所であった逢坂山や日ノ岡の峠道は、旅人や貨物運搬にとって悩みの種であった。琵琶湖から水を 引き、その水路を利用して舟運を興すとともに、田畑を潤すことが古くは平清盛、豊臣秀吉の時代からの願望として伝承されてきました。 明治2年(1869年)の東京遷都以降、衰退する京都経済の復興策として京都府3代目知事北垣国道、青年技師田邉朔郎、測量師 嶋田道生ら技術陣・行政関係者、上・下京連合区会、市民の力で明治18年(1885年)、水車動力、舟運、灌漑、精米水車などの 多目的な効用をはかるため、疏水掘削工事に着工しました。

      インクラインは、蹴上船溜や南禅寺船溜に到着した船から乗り降りすることなく、この坂を船ごと台車に載せて昇降させる目的で 建設された。 当初蹴上から分水した水車動力 (20馬力、15KW) によって水車場内のウインチ (巻上機) と水中の滑車を回転、ワイヤーロープで 繫いだ軌道上の台車を上下する構造を考えていた。その後、明治21年(1888年)、田邉技師、高木文平調査委員が訪米し、 アスペン銀鉱山の水力発電を視察した結果、インクライン動力源を水車動力から電力使用に設計変更され、事業用としては我が国初の 蹴上発電所を建設することになった。 この電力が世界最長のインクラインに35馬力(25KW)、時計会社に1馬力(0.75KW)など産業用、電灯用として活用された。

      明治27年(1894年)には伏見区掘詰町までの延長約20㎞の運河が完成し、この舟運により琵琶湖と淀川が疏水を通じて結ばれ、北陸や近江、 あるいは大阪からの人々や物資往来で大層賑わい、明治44年(1911年)には渡航客約13万人を記録した。しかしながら、時代の流れで大正4年(1915年)には、京津電車、京阪電車が開通、旅客数が3万人台 に激減したのに加え、国鉄(JR)の方でも東山トンネルが開通して大正10年に現在の山科駅が開設されたために、京津間の 足としての疏水の機能は実質的に失われることになった。

      一方、貨物の輸送量は、大正14年(1925年)には、史上最高の22万3千トン、一日約150隻を記録した。やがて、陸送化がどんどん進み 昭和26年 (1951年) 9月、砂を積んだ30石船が最後に下り、疏水運河60年の任務を終えた。こうして、琵琶湖疏水・インクラインは 文明開化以降における画期的な京都再生の役割を果たした。平成8年(1996年)6月、国の史跡指定を受け、今日の京都を築いた遺産として 後世に永く伝えるために形態保存している。

      着工 明治20年1887年5月
      竣工 明治23年1890年1月
      運転開始 明治24年(1891年)11月 (蹴上発電所営業運転開始)
      幅 約22m
      勾配 10~15分
      電動機直流 440V, 70A
      ドラム工場 南禅寺船溜北側

    [拡大画像: x24819.jpg][拡大画像: x24825.jpg: インクラインの説明書き][2012.05.26.琵琶湖疏水の蹴上船溜および南禅寺船溜+琵琶湖 疏水記念館にて]

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    1. 蹴上船溜の風景。 [拡大画像: x24824.jpg]
    2. 蹴上船溜(画像奥)からインククラインを少し下ったところ。 [拡大画像: x2424823.jpg]
    3. 蹴上と南禅寺の両船溜の中間辺りの風景。 [拡大画像: x24822.jpg]
    4. 南禅寺船溜からの風景。 [拡大画像: x24821.jpg]

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    5. 南禅寺船溜から鴨東運河方面(画像中央)を見る。 [拡大画像: x24820.jpg]
    6. 「工事中の蹴上船溜と第三トンネル西口 The boat pool in Keage and the eastern portal in the third tunnel on Yamanashi canal under construction」; 明治22(1889)年頃、京都市上下水道局蔵。
      説明書き:「工事中の蹴上船溜と第三トンネル西口を西から東に見た写真。蹴上船溜の工事は明治22年7月に完成。船溜は一辺 約45mの正三角形をしている。インクラインが出来るまで大津から下って来た船はここで荷物の積み換えをした」。 [拡大画像: x24840-1.jpg][琵琶湖疏水記念館展示写真]

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    1. インクラインの「運転の仕組図」。 [拡大画像: x24815.jpg][拡大画像: x24816.jpg: 説明書き*]
    2. 地図上の琵琶湖疏水記念館傍にあるのが南禅寺船溜、「現在点」傍にあるのが蹴上船溜である。 [拡大画像: x24818.jpg] [拡大画像: x24817.jpg: 蹴上~大津間の疏水図] 

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    以下の画像・資料は、埼玉県立・川の博物館にて開催された平成23年度春期企画展「世界の運河・日本の運河」(平成24年 3月10日~5月6日)での展示による。[2012.04.28]

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    1. 琵琶湖疏水の立体地図。  [拡大画像: x24470.jpg][拡大画像: x24474.jpg: 模型の範囲]
    2. インクラインの仕組みを示す概念図。

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    3. 大正時代の南禅寺船溜とインクラインの風景。  [拡大画像: x24471.jpg:第一トンネルの入り口、第一竪坑、蹴上発電所画像含む]

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    4. (上)南禅寺境内を流れる疏水分線の水路 (水路閣付近)。(下)南禅寺境内の水路閣。 [拡大画像: x24472.jpg]
    5. インクラインの軌道、蹴上船溜。 [拡大画像: x24473.jpg]

    参考保存資料:
    * 鴨川運河、三栖閘門、鴨東運河、夷川発電所 [拡大画像: x24469.jpg]
    [拡大画像: x24475.jpg: 説明書き「琵琶湖疏水-様々な試み」][拡大画像: x24476.jpg: 説明書き「琵琶湖疏水-日本人による初の 近代運河建設」]


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